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総理と呼ばないでのmasatのレビュー・感想・評価

総理と呼ばないで(1997年製作のドラマ)
4.3
5話まで、ビンジウォッチ。

日本の“ハウス・オブ・カード”!
と言ったら、勿論言い過ぎだろうが、
それくらい、久々に見るこのドラマはテンションが上がる。
そして、昨日の米大統領選、我が国のコロナ期の国会中継や菅総理への交代劇など、この半年の激動を経て観るこのドラマは、本当に格別だ。

西村雅彦の首席補佐官の名台詞、
「何て小さい“夢”なんだ」
に表されている通り、国会の人々も市井も、人間なんてみんなちっぽけで勝手なんだと、このリレーションシップ・ドラマは、巧みに訴えてくる。
眼がモノを言う絶品の田村正和さまを筆頭に、この三谷代表脚本は、キャスト・アンサンブルをこれ以上ないと言うくらい、絡ませまくる。
特に中心のひとり、筒井道隆のオトボケ具合がなんとも素晴らしい。純なのに頼もしい、官房長官としての真の姿!ではないか?と思わせる程の迫真とも言える演技だった。


6話以降をビンジウォッチ。

「ごめんなさい事件」「蟹ぜんぶ喰っちゃった事件」「隕石落下事件」・・・と様々な事件がこの総理のかなり!短い任期中に何故か?巻き起こる。

特に第7話が秀逸。
総理の軽はずみな一言で、(ロシアだろう)社会主義国の体操選手を、アメリカへ亡命させるかどうかのイザコザが起き、最後にはホワイトハウスから直電を受け、米大統領から直接お叱りを受ける始末でありながらも、同時並行で、冷え切った挙句、浮気をしたファーストレディに、“オマエをどこまでも追いかける”宣言をし、お互いの愛を確認し合うという、玉石混合の有り様は、笑いと共に涙を誘う。
そしてこの回から(8話でより総理夫妻の愛情物語は深まりながらも)一気呵成に、クライマックスへ突っ走る。

内閣総辞職の危機が訪れる。
補佐官という得体の知れないポジションの男が、前時代的解決方法により、より事態を炎上させ、一大事へと。あわや総理自身の証人喚問の危機!
まるで今話題の“桜を見る会”、その顛末への安倍前総理証人喚問への秒読みを思い浮かべてしまうタイムリーさ。
この窮地を、流石三谷脚本、“負けたけど、心で勝つ”戦法が炸裂し、身を持って腐れ切った政党を断ち切る、最初で最後のまさしく“必殺の政治改革”を繰り出す・・・

ダメなのに説得力あり(彼が「ご苦労さん」と言うと皆一様に誇らしい顔をする)、そんな目力の田村正和・総理のダンディズムは、語り尽くせない。人間力と鈍感力の極地を演じる。彼に尽くす“裏の人”小林勝也・補佐官も哀感たっぷりに、ある時代の終焉を演じ上げた。また、西村雅彦・主席補佐官の奮闘は、自身の(見る側の)アイデンティティの在り方をも問い掛け、最大功労者としての最高のラストを与えられている。必殺“狸寝入り”の藤村俊二・副総理も、時折、オトボケ魔法を発する。

オールスターのマジカルな好演と共に、出来過ぎていながらも、妙にリアリティがある。なのに、御伽噺の様な魔法にかかる、なんとも不思議な傑作。
毎回冒頭に浮かび上がる“FAREWELL”という言葉が心に染みる。そして「戦車900台持っている」と言う台詞と「なんかコツ掴んだみたい」と笑う最後の失われしストップモーションの台詞が、永遠に愛らしく響く。
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