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民衆の敵~世の中、おかしくないですか!?~のmaroのレビュー・感想・評価

3.5
最終回で一気に変わった!
これだから、どんなつまらないドラマも最後まで全部見たくなる(笑)

高給に惹かれて議員になった篠原涼子が、政治ド素人にも関わらず、持ち前の正義感の強さで、市民の困りごとに向き合いつつ、古田新太ら悪い政治家とも戦い、市長になってリコールの窮地に立たされながらも、踏ん張ってあおば市をよくしていこうとするドラマ。

本当に最終回前まではね、突拍子もない主婦が政治家になる奮闘記って感じだったんだけど、最終回がすごくよかった。

これまでずっといっしょに仕事をしてきた高橋一生とのまさかの対立。
それも悪い意味での対立ではなく、お互いの信念のぶつかり合い。
10分にわたる長いシーンだったけど、一番見ごたえがあった。

「みんなが幸せになるために誰かが一人でも犠牲になるなんておかしいでしょ!」という篠原涼子と、「ひとりの幸せのためにみんなを犠牲にするなんておかしくないですか?」
という高橋一生。
どちらが正しいなんて、そんな単純な話ではない。
きっとどちらも正しい。
だから、お互いに信じる道を進むべきなのだ。

これまでおとなしかった高橋一生が、ここにきてめっちゃ自己主張しまくってて、その演技がすごくよかったんだよなあ。

高橋一生と篠原涼子の以下のシーンのやり取りは、すごく印象に残ったので、ネタバレしたくない人は読まないでください(笑)

(高橋一生)
みんな政治家の言うことに聞く耳を持たない。
聞くことを放棄しておきながら、後で聞いてませんでしたという。
ならば、政治家は民衆に真意を伝えず、導いた方がいい。

(篠原涼子)
でも、それは民衆をバカにしている。
そんな政治家が世の中をおかしくしているんじゃないか。

(高橋一生)
民衆をバカにする政治家が嫌なら、そんな人間に政治をさせなければいい。
それが選挙。
その権利を放棄しておきながら、世の中おかしくないですかっていうそっちの方がおかしい。

などなど、最終回だけ突出して、国民にもっと政治に興味を持ってもらうようなドラマになっていた。
やっぱりストーリーがあると、興味がないものにも興味がわくから、ドラマや映画を通じたアプローチってありだなと思った。

そして、最後のニューポート政策の是非。
これも、議員が決めるのではなく、市民に結論を出してもらおうということで、場を設けるものの、まったく人が集まらない。
国民の政治への無関心さが如実に表れていた。

もちろん篠原涼子らのがんばりで、最後には人がたくさん集まってくるのだけれど、彼女が言っていた民衆の敵の正体、それは「私たちひとりひとりの無関心」だと。

そして、こうやって当事者である市民たちが話し合うことが、まさに「政治の原点」なんじゃないかと、高橋一生も微笑ましくその様子を眺めていた(まあ実際、あんなに人がいたら決まるもんも決まらないと思うけどw)。

マジで最終回だけすっごく面白かったわ。
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