ひば

九尾狐<クミホ>伝~不滅の愛~のひばのレビュー・感想・評価

5.0
そんなつもりじゃなかったのに結果的にズブズブ引き込まれて大変なことになった、幸せか、わたしの生気と水分を奪って得る人生は。深入りすべきでない男に深入りしたせいで…このドラマすごいのよ、男男で女を取り合うんじゃなくて男女で男を取り合うの。運命の恋人と運命の兄弟が同時進行で描かれるわけなんだが、弟は兄がポッと出の女に絆されて自分を捨てたことを恨んでいて、恋人と弟はそれぞれの巨大感情をかけて本気でぶつかりあってるわけ。"恋人と弟が死にそうですけどどっちを助けますか?"めちゃやる、弟すぐ恋人との天秤に乗ってしまう。兄は恋人に"お前は強いと俺は知っている、だからお前の意志で帰ってこい"と離れ、そして諦め癖のある弟には駆け寄りけつを叩くのも驚いた。弟、できる兄にコンプレックスあるある設定がまるでなく愛を渇望するに尽きるのでそこも意外。ついでにとんでもないスケールで人が死ぬ。ラブコメかと思ったらホラー。エンディングでハードロック?が流れてすぐにこのドラマは他とちがう気がすると取り込まれた。
これまで男性には"女(≒家庭を所有すること、ヘテロ)"をとるか、友情/兄弟をとるか問題が常に存在し、そして女を選ぶことを当然とされてきた。そうでないストーリーは100%顰蹙を買うだろう。だがこの問題は主役が女性の場合ほぼ確実に起きない。なぜなら女は恋も友情も同等を当然のように獲得し共存させることができるからである。この問題には間違いなく有害な男性性における"男同士は弱味を見せ合わないしベタベタしないしより暴力的により野心的になにより家父長を怠ることなく優先して女をモノにして一人前になれ"という概念が根底にあると考えられ、それがアイデンティティに深く刷り込まれている場合もあり自分から切り離すことが難しい。『スーパーバッド』なんかは恋と友情の両立が如何に男には難しいかを描いていたと思う。最近ではスパイダーマンでも言われてたことだけど、一緒に遊びどんな時も隣にいた親友ネッドがMJが恋人になった瞬間二人の役目が入れ替わるのはちょっと引っ掛かるとこがあった(ネッドもそうだけど期間限定の旅行中だったからわからんこともない)。"真っ当な男"なら友情より恋愛を情熱的にストーリーの重心に描くことが当然になっている。男女ともにこの価値観に取り憑かれているのだからこそわたしは今作を見てびっくりした、男同士旧知の仲はそれくらい大真面目に引き下がらず「納得いかない」と胸を張って感情をぶつけるべきではないかと思い直した。当事者しか幸せになれないようなおとぎ話を恣意的な排除をしながら「うんうん愛だよね」で片付けるなんて許せないとその物語の犠牲になった弟が出てきて兄の恋人と本気で席を奪い合うのだ、恋人を奪って自分のモノにするとかじゃない、徹頭徹尾弟の譲れない視線が兄に向けられている。自分への優しさの裏に自分ではない相手への思いを感じ腹を立てつつ、男たちはあなたを愛していると臆することなく互いに言い聞かせるのだ。最後まで見ると弟×ヒロインもめちゃくちゃ良いと感じる。
伝説やおとぎ話を現代でやき直すことは現代のやり方で古い価値観に抗う物語が約束されなければならない。今作は1人か世界かの極端な選択に対してそれをつきつける方こそNO、どっちも守りきってみせる、女を悲劇的に死なせ男を英雄的に死なせることから逃げまくることが核にある。敵対関係にあった者でさえ相手の自己犠牲を止めようとする。それと同時に、末端の1人の苦しみは世界の破滅に値するものである、たとえ1人を切り捨てようとしても1人とはいえ世界の一員であるが故に欠陥につながることにも向き合ってるし、手の届く範囲にいる人間しか救えないそれどころか1人さえ救うことは難しいことを色んな目線からの"1人"を通して見ている。
こんなに異性愛だけじゃなく釣り合いがとれるほど男男に重点を置いて、性のにおいが一切ない恋愛と一線おいたロマンスとも言える男女も出してきよるのだ。恋人とはまた別に運命の人は存在する。そもそもわたしが入れ込みすぎた男ランちゃんは有害な男性性を発揮することがほとんどない。ミソジニーや蔑視のにおいがなければ暮らしがそこそこ丁寧なイマドキの悪い子である。最初こそ空虚なマッチョ像が感じられチンピラ呼ばわりされる程度の悪人ではあるがゆくゆくはホモソーシャルを否定し子供にも動物にも好かれ虐げられる女性も助ける。その実女子供には優しいなる聞き飽きたつまんねえ男性優位設定ではなくほとんどが優しさで包まれていることが彼の周辺環境から受け取れる。プロフィールには繊細で気難しいと書かれており、冷酷で残忍とかじゃない。特に彼とある女性は主従関係にあるが、ガワは兄との関係をそのままライドした関係なのに他者を介さず固有の世界観を持ち、兄とのような不健全で依存的な関係は存在せずかつ性的含む支配関係も存在しない。作品の傾向自体も「外国の狐」と差別的呼び方をしては「名前がある」と事あるごとに訂正し、女が車で迎えに来るし、基本男が非常にメソメソしており感情を吐露しながら泣くシーンもかなり多く、男も男に花を贈るし、旧時代的価値観が呪いであり淘汰対象になっていてこれはけっこうすごいのだ。わたしの愛した男は髪にツツジの花を差す男です。たまたま雑誌でイドンウク氏が今まで女性が狐役だったのに今作では自分(男)にオファー来てとても驚いたみたいな話をしててへぇ~なったの思い出しながら見ていたが、絶対にヒロインに美枠を譲らん姿勢で自分をかわいいと褒め称えるキャラデザインは是非確認してもらいたい。こうでありたい見せたい自分はユリちゃんの前で、こうありたくないがそこが相手に好ましく思われている自分は兄ちゃんの前なんじゃ…というわたしの空へのつぶやきも胸に留めておいてくれると嬉しい、わたしは泣いたというかほぼ吐いてたし残った水分で泡となって消えるので…
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