ヨーク

ショーイング・アップのヨークのレビュー・感想・評価

ショーイング・アップ(2022年製作の映画)
4.3
先日感想文を書いたばかりの『ファースト・カウ』と同じく本作もケリー・ライカート作品である。ただ、この『ショーイング・アップ』は一般公開された『ファースト・カウ』と違ってA24映画特集での上映なので残念ながら公開館は片手で数えられるほどだ。個人的にはこの『ショーイング・アップ』の方が面白かったのでこっちももう少し大きめの公開規模でやってほしいところなのだが…。まぁみなさんが『ファースト・カウ』をたくさん観てくれればケリー・ライカートの次回作は100館規模とまではいかなくても50館とかくらいまではいくかもしれない。頼みましたよ…。ちなみに『ファースト・カウ』は19年の映画だが本作『ショーイング・アップ』は23年の映画なのでこちらが最新作である。
んでお話は…というとまぁそこはケリー・ライカートのいつもの感じで特に目を引くようなフックの強いストーリーは無い。スーパーヒーローも出てこないし殺人事件も起こらないし身を焦がすような恋愛もない。内容は非常に地味なもので、多分オレゴン州の美大だか美術系の専門学校だかで講師をやってる彫刻家が主人公。彫刻というか陶芸みたいな感じで自分の作品を窯で焼いているみたいなんだが、そういう自分の芸術活動をしながら美術系の学校でも教鞭をとっているという設定の主人公ですね。その主人公は中年くらいの女性なんだけど、彼女には自宅兼アトリエにしている部屋のシャワーが壊れてお湯が出ないという悩みがあった。その建物の大家は隣人の同い年くらいの女性で、彼女も芸術家であり美術学校の講師としての同僚でもある。主人公は「早くシャワーを直せ」とせっつくが彼女はマイペースにかわしていく。主人公は自分の個展が目前に迫っているから作品作りに没頭したいのにシャワーの件でイライラしっぱなし。そんな中々反りの合わない二人の日常生活が描かれる…というお話です。
まぁ一言でいえば地方の美術教師の非常にミニマムな日常モノですよ。しかもこれは天才芸術家などではなく、ストレートに言うと凡人がいかに芸術と共に生きていくかという映画であったと思う。個人的にそういう界隈に少しだけ心当たりがあるんですが、絵画でも彫刻でも音楽でもそれこそ映画でもいいけど、そういう芸術とか文化方面の道を志したはいいけれどプロとして食っていくことができない人っていうのは美術系の大学や専門学校の講師(臨時講師なども含む)として糊口をしのぎながら空いた時間で自分の作品を作っているという人が多いんですよ。天才的な才能を持ってる人ならその力をどこかで見抜かれて(もちろんゴッホのような例もあるが)誰かがその人を世に出そうと頑張ってくれたりもするんだけど、残念ながら芸術とか表現とかに関わる人たちの大多数はそのレベルの天才ではないことが多いんですよ。各分野の新人賞とかも正直審査員の好みが…とこれ以上は映画の感想から脱線するのでやめておくが、とにかく美術でも何でもそれ一本を生業としてやっていくのは大変だということです。
本作の主人公も美術系学校の講師をやりながら合間の時間で自作を作っているわけだが、この映画はそこがいいんですよ。プロとして、職業としてのアーティストではなく二足の草鞋でやってる人間の姿というのがとてもフラットに描かれる。ケリー・ライカート作品の特徴としてメインの被写体に対して過度の入れ込み過ぎもせず、かと言って距離を取り過ぎて別世界のように観えてしまうということもなく、実にいい距離感でフラットというか作為の無い世界を見せるんですよね。映画なんて、特に劇映画なんて作り話にしか過ぎないのにケリー・ライカートの映画はあまりそういう感じがしない。
本作の主人公やその周囲の人物というのもそういう風に描かれていて、実に普通に芸術と共に生きている。芸術という語がやや大仰に聞こえるなら単にモノ作りと言い換えてもいいかもしれない。何かを作るということがとても日常のものとして描かれているんですよ。アート界に旋風を巻き起こす的な大それた野心とか、俺が美術界の歴史を塗り替えてやるというような向上心があるわけではない。ただ日々の生活の一部としての作品作りが描かれる。それは気の合わない隣人との小さな諍いとか上手く嚙み合わない家族との関係とかと同じレイヤーで描かれて、怒りや苛立ちも禁じ得ないのだが、その日常と共に自分の芸術活動、もといモノ作りというものはあるのだと本作は言う。天才芸術家の生き様を強調したり、これがアートの歴史を変えたのだ、というような押しつけがましい作劇は一切なくてただ生活の一部としての表現活動が描かれるのだ。
これは美術とかエンタメとか、そういう表現に携わる人だけではなくて単に何かを作っている人には非常に刺さると思う。この映画を観ながら、主人公のリジーやその周囲の人間の姿を観ながら、こんな風に生きていきたいなって何度も思ってしまった。特に才能もないのにモノづくりをしている人間は翼を傷めた飛べない鳥かもしれないが、飛べないなら飛べないなりの世界はあるし、でも思い切って飛んでみたらその翼は案外自分が思っていたよりも羽ばたくことができるかもしれない。
そういうことを過度に寄り添ったり、極端に突き放したりせずに、ただ「こういうこともあるかもね」とだけ言うライカートの世界というのは本当に好きだ。本作のラストシーンは、まさにラストシーン・オブ・ジ・イヤーとでも言うべきもので素晴らしかった。ラストシーンだけなら2023年ベストと言っていいだろう。
あとこれはケリー・ライカートの別作品でもそうなんだが、あまりに起伏がなくて退屈だなぁ、と思ってるとそれを見透かされたかのように唐突に笑えるシーンがくるのもいい。本作でも主人公の親父とかお袋とか兄貴とか、とぼけた感じの人が多くて笑えるシーンは多かった。主人公のヒステリックな部分も引いた目線で撮っているから感情移入するよりも笑えちゃうんだよね。その辺の距離感は本当に素晴らしいと思うな。
日本で公開されたケリー・ライカート作品は多分すべて観ているが今のところ本作が一番好きかもしれない。とてもいい映画でした。繰り返すが、特にラストシーンは本当に素晴らしいのでそのためだけに劇場へ行っても損はしないと思いますね。
あのラストシーンは本当に良い。俺は人が歩いている映画が好きなんだと再確認させてくれたよ。
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