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エリザベート 1878のヨークのレビュー・感想・評価

エリザベート 1878(2022年製作の映画)
3.6
本作の主人公であるシシイことエリーザベト・フォン・エスターライヒは今書いたようにエリーザベトと表記するのが発音的には正確な気がするのだが、日本語的にはエリザベートの方が馴染みやすいしおそらくそれを受けて本作のタイトルも『エリザベート1878』となっているのでこの感想文中ではエリザベートで統一することにします。
というわけで『エリザベート1878』ですが、そのタイトルの通りにオーストリア皇后のエリザベートを描いた映画です。オーストリアというか、オーストリア=ハンガリー帝国と言った方がいいのかな。いわゆるハプスブルグ家の最後を飾った二重帝国ってやつですね。
ただ、あらすじ説明も兼ねて書くと本作がちょっと変化球なのはタイトルに1878とあるようにこの映画は1878年の1年間を描いた映画でエリザベートの生涯を描いた大河ドラマ的な物語というわけではない。ちなみにエリザベートは1837年生まれなので作中での彼女は40歳ということになる。その時点で夫であるオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝ヨーゼフ1世との夫婦生活は四半世紀近いものである。つまり本作は彼女の幼少期からを丁寧に描写していくような史劇ではないということだ。そしてその年齢の彼女はすでに姑であるゾフィー大公妃との確執も深まってすでに皇后としての公務とかにやる気を失っている頃なのだ。本作は歴史的な経緯やその辺の説明も全くないままに始まる。
正直その辺は不親切というか、歴史モノの映画としてはどうなのよと思うところはありましたね。俺も特にヨーロッパの近代史に詳しいというわけではなくて、ルキノ・ヴィスコンティが好きで彼が撮った『ルートヴィヒ』も好きなのでその辺の最低限の知識はあっただけなのだが、そのへん何も知らん人が観たらイマイチお話についていけないのではないだろうかと思う。そして主人公であるエリザベートがどういう風に育ってきた人間であるかという、その辺の描写をせずに本作の前半部分では中年となった彼女の奔放ぶりをひたすら描いていくのだ。
それだけを観たらエリザベートは皇后の自覚がないわがまま女に見えるのだが、そこは映画が進むと周囲から孤立して彼女の望む自由が与えられない上に国の象徴としての役割や母親としての役割や美しい妻としての役割ばかりを押し付けられるという部分が段々と分かってくるようになっている。なので後知恵的にだが彼女が皇后としての仕事を放ったらかしにしてるのも分からなくもないなぁ、という作りにはなっているのだが、でもそれってどうなんだろうなとは思うんですよね。
というのも本作は明らかに昨今よくある感じの社会の中の女性の苦しみとか生き辛さとかを中核に据えて描かれた映画なのである。それは作中で印象的に何度も挿入されるコルセットをきつく締め上げるシーンを見れば一目瞭然であろう。他にも夫のヨーゼフ1世は若い女を気軽に愛人にするのにエリザベートはちょっと男と立ち話をしただけで周囲から諫められるというようなシーンもある。断っておくが、別に女性特有の生き辛さや社会からの抑圧をメインテーマとして描いてはいけないということは当然ない。個人的には思想としてのフェミニズムには賛同するし社会における権利の男女平等は実現されるべきだとも思う。でもこの映画は実在した歴史上の人物を使ってその問題に切り込んでいるわけだが、なんというか結論ありきというか、映画の観方の正解として「女性への抑圧」っていうテーマを取り扱っているような気がして俺としてはイマイチそこには乗れないなって思ったんですよね。
本作は上記したようにロクに経緯の説明もないままに中年期を迎えたエリザベートの姿から始まるのだが、そこからのスタートで映画を観ると王宮での男性優位な暮らしに嫌気が差して放蕩を繰り返すようになったエリザベートという風に観えてしまうと思うんだけど、彼女の出自を考えてみたら本当に社会構造における男性と女性との確執だけが原因なのだろうかと思ってしまうんですよ。実はバイエルン王家の傍系として生まれたエリザベートという人は王位継承権から遠い地位で生まれたこともあって厳しい教育を受けたというわけでもなく公務とは無縁の気ままな生活を送っていたんですよね。よく言えばのびのびと天真爛漫に、しかし悪く言えばわがまま放題に育ったわけだ。そんな女性がヨーゼフ1世の一目惚れで皇后となることになったのだから、彼女の人生を順を追って見ていけばそりゃ窮屈な王宮生活なんて肌に合うわけないよなってなるんですよ。何が言いたいのかというと、つまりエリザベートという女性は本作では男社会への反逆児のように描かれているけど別に女性の権利がどうとか社会進出がどうとかを真剣に考えていたわけではなくて(もちろん男ばかりが優遇されていたことにムカついてはいただろうが)元来の気性として籠の中の鳥を強いられるような貴族的な生活習慣に合わなかった人間なのではないだろうかと思うんですよね。また、ヨーゼフ1世は作中ではエリザベートに良妻賢母を求めるだけの愛のない冷たい夫のように描かれているが、すぐ上でも書いたようにこの夫婦の馴れ初めはヨーゼフ1世の一目惚れで、生涯に亘って彼女をかなり溺愛していたらしい。そりゃまぁ当時は(今もだが)男性中心の社会だったし、歴史モノだからといって史実通りのことしか描いてはいけないということはないのだが、それでも本作の演出の仕方は恣意的でアンフェア感があると思う。たとえばヨーゼフ1世との関係性でいうならば皇后であるエリザベートと同じように皇帝としての重責を背負っている描写をもっと重ねて、その上で女性であるという理由でエリザベートを蔑ろにするという段階を踏まねばアンフェアであろうと思うのだ。少年漫画の悪役じゃないんだからさ、コイツは女性をいじめる悪い奴なんですよ! 程度の描き方ではだめだろう。
ヨーゼフ1世との関係性を例として挙げたが、本作は大体がそんな感じで進むので主役であるエリザベート以外(彼女も都合よく描かれているとは思うが)は実在の歴史上の人物への敬意とかはあんまり感じられず、俺としてはイマイチな映画であった。さらに言うと最初の方で書いたがヴィスコンティの『ルートヴィヒ』からの影響が色濃く見られるのだが、それもなんか上っ面のオマージュだけって感じであんまり面白くはなかったですね。ラストシーンもあれ、湖に沈んだ狂王と重ねて描いたのだろうがバシッとキマっているとは言い難いと思いましたね。『As Tears Go By』も良い曲だし歌詞も本作にハマっているとは思うが、やっぱ唐突すぎる違和感はあったな。
と、ここまで文句ばかりを書いてきたが上述した部分以外は中々面白い映画ではありました。主人公も実際のエリザベート妃というよりも現代的な女性像に組み替えられていると書いたが、しかし個人的にそのキャラクター自体は好きである。いい年こいて聞き分けのないロックな中年オバ…いやお姉さまで最高ですよ。ただこれがオーストリア皇后のエリザベート妃だと言われたら、う~~ん、となるだけなのだ。普通に現代劇で良かったんじゃないですかね、と思うよ。でもエリザベート妃でこれをやるっていうのが興行的なネタなのだというのも分かるが…。
まぁそんな感じなので歴史モノとして観たらイマイチではあったが、その辺気にせずに観たらそこそこ面白い作品ではあったと思いますよ。これは俺以外にも散々言われてるだろうけど作中出てくる数々のドレスとかは素敵でそれを眺めるだけでも本作を観る価値はあるのではないだろうか。まぁその綺麗なおべべが生み出す印象が他ならぬエリザベート自身を苦しめたイメージに転嫁されていた部分もあるので、それは非常に皮肉でもあると思うが…。主演のビッキー・クリープスの芝居や雰囲気も最高なのでその辺を楽しむのが良いのではないでしょうか。
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