ヨーク

それでも私は生きていくのヨークのレビュー・感想・評価

それでも私は生きていく(2022年製作の映画)
4.0
実を言うとこの『それでも私は生きていく』は全然観たいとも思っていなかった映画なんだけど予告編を見たときに画面にモネの『睡蓮』が映って、おそらくオランジェリー美術館のものかなと思ったのでオランジェリー美術館でのロケがあるなら観ないわけにはいくまいと思って観ることにしたのだった。まぁ結論から言うと本作で『睡蓮』が映るのは20秒あるかないかというくらいのもので他に美術館のシーンもないという感じだったのだが、お話自体もモネを引用する意味はちゃんとあるという映画でよかったですね。ちなみにモネとか抜きにしても普通にいい映画だったとは思う。
お話はまぁ最近のヒューマンドラマでは割とよくある感じのやつで等身大の女性が生きていく様を大げさにではなく寄り添うように描いていくっていう感じのものなんだけど、主人公のレア・セドゥは夫と死別して通訳の仕事をしながらシングルマザーとして小学校低学年くらいの娘を育て、その合間を縫って年老いた父親の世話をしているという設定。んでその父親は単に老いただけではなくて、厳密には違うらしいのだがアルツハイマーに似た症状が出る病気にかかっていて記憶と視力が蝕まれていっている。実の母親はすでに父と離婚済みで父親には新しい恋人がいるのだが彼女にも持病があるので父親と同居して付きっきりで看病というわけにはいかない。なので主にレア・セドゥと別れた母が共に彼の面倒を見ているのだが、そんな折にレア・セドゥは旧友の男と出会う。その男には妻子があるのだが二人は惹かれていき…という感じのお話です。
もっと短くあらすじをまとめたかったのだが無理だった。でもこれそういう映画なんですよ。人生っていうのは何一つ整理整頓なんかできずに混沌としたまま手元を離れてどこまでも進んでいく、というそういう映画でしたよ。シングルマザーで仕事と子育てを両立してるだけでも大変なのに、親父の病気の問題と妻子ある男と不倫関係になるという問題をさらに抱えながらどこに向かって進めばいいのだという映画ですよね。人生というのは一言で簡単に要約できるものではなくて、学校に行く娘と一緒に家を出て仕事をこなした後に父親の今後と今日の晩御飯を同時に考えながら娘を迎えるために乗ってるバスの中で不倫相手からLINEがくる、みたいな混沌なのだ。何一つ整わずに明日どころか三歩先がどうなってるのかもよく分からない道を歩いていくしかない。そういう描写が優れた映画でしたね。
娘との関係は特段悪くはないのだが24時間365日全てを母親として生きていくのは当然ながら息がつまる。しかし父親はかつて哲学科の教授だった面影がどんどん消えていって頼りない存在になり娘として甘えることはできない。不倫相手の前ではただの女として振舞うことができるがいずれ彼は自分の家庭に帰るのだろうという予感はある。そんな生活を送ってる内に通訳の仕事でも今まではしなかったようなポカをするようになってしまう。そういった一個一個はバラバラな悩みが全部人生の中ではつながっていて、次第にそういったものに手足を絡め取られていくという感じはすごくよく描かれていた。
そしてやっぱヨーロッパのその中でもフランス映画だなぁ、と思ったのはそういった主人公の周囲の問題が特に整理されたり解決されないまま映画が進行していくんですよね。ハリウッドの映画だったら絶対に問題を乗り越える、という部分が描かれるんだが本作ではそういうのがない。例えば若干ネタバレになるかもしれないが本作には山場として不倫相手と対峙して、この男が妻を取るか不倫相手であるレア・セドゥを取るかを迫る、みたいな場面はないんですよ。また親父の病気に効くとされる薬が開発されたがまだ未認可なので実際にどうなるかは分からない、それでも投薬をするかどうか決断を迫られる、とかそういう展開もない。要は作中で提示される様々な問題についてこれが答え、もしくは結果である、というオチは待っていないんですよね。全部がそうとは言わないがアメリカの映画だったら多少強引でも着地するべきところを作り上げてそこに落ち着かせるものが多いんだけど、やっぱおフランス映画はその辺が良くも悪くもリアルでシビアなんですよね。娯楽映画としては山も谷もないとも言えるが。
でも本作はそれでよかったと思うな。人生というのはそんなに白黒ハッキリつけることができるものではないし、いつになっても答えなんてやってこない。でもその後に本作のタイトルが続くようでいいじゃないですか。『それでも私は生きていく』って。原題は知らないけどこの邦題はいいタイトルだと思いますよ。そして人生は白黒ハッキリつけることができないっていうメッセージは記憶を失っていく父親の描写にも重ねられていて、全てが曖昧になってぼやけていくけど本作はそのこと自体を否定する映画ではないんですよ。病気を悪としては描かずにまぁそういうこともあるよねっていう人生のグラデーションの中に落とし込んでしまう。もちろん、病気が良いことだとは言わないし治るんならそれに越したことはないんだけどさ、でも生きていくっていうのはそういうことも引き受けていくことだという感じに描かれていて、それは悲しいし切ないけれどそういうもんだよなぁ、とも思うんですよね。
そういう風に人生とは白黒ハッキリつかずに答えの出ない曖昧なものなのだということが描かれる映画なのだが、そういう映画でモネが引用されているわけだよ。知ってる人には言うまでもないことだがモネの『睡蓮』はほとんど抽象画と言ってもいいような筆致と色使いで遠くから一見しただけではそれが何の画なのか分からないほどだ。ただ光と色と物体の僅かなフォルムだけを追い求めて睡蓮のように見える何かに行き着いた。そして晩年のモネは白内障によりほぼ視力を失っていた。それでも最後まで画を描いていた。人生は理不尽で混沌で答えのない曖昧なものだが、まぁ何とかやっていくしかないなという本作で引用するにはピッタリではないだろうか。
そんな風に、人生というのは色んなものに振り回されて自分が今どこに立っているのかさえ分からなくなるものだということを描いた映画なのだが、そのラストシーン、舞台となるパリのランドスケープを眺めながらそこに何があるのかを確認していく様はしっかりとこれからもここで生きていくのだという意志を感じるシーンで素晴らしかったと思いますね。正直スコアは3.9でいいかなぁ、と思ったんだけどモネに免じて4.0にしておきます。いい映画でした。
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