垂直落下式サミング

ゴジラ-1.0の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
4.4
すべてを失った戦後日本をさらにゴジラの驚異が襲う。戦後、日本。無(ゼロ)から負(マイナス)へ。というのが広報のキャッチフレーズだったけれど、物語のはじまりは1944年。終戦の一年前だ。タイトルのダブルミーニング。そこから数年後の戦後騒乱、さてどうなる。ゴジラ生誕70周年にして東宝ゴジラ映画第30作目。徹夜明けだったので、寝ないように4DXで観賞。
今回のゴジラでいちばんいいのは、放射熱線のチャージモーション。背びれが光るだけでなく動くのは、シンゴジラでもハリウッドゴジラでもやっていない。新しいケレンの出し方。
背びれが身体の外側に飛び出すように動くことで、普段は安全装置の効いている体内機構のリミッターを外していくような気持ちよさを演出している。体内のエネルギー出力を制御する弁を、末端から順に閉から開にしていくのを視覚化したような凝ったギミックがめちゃくちゃ好き。
これまで、ゴジラの原子力エネルギーは、腹で生まれて背中で溜めて喉で打ち出してるもんだと、なんとなく思っていたけれど違った。
パワーは末端より出づる。このゴジラは尻尾で生んで腹で溜めて背中で打ち出す。ゴジラの熱線放射のタイミングで、4DX座席の背中がドンッと叩かれたから、たぶんこういうことなんだと思う。
最初、このドンッは僕らが戦後の犠牲の上に、のうのうと日々を生きているのだという歴史を思い出させるため、現代人の背中を蹴るという意味だと思ったのだけど、二度目のビームで僕らがゴジラその人の目線に立って、衝撃を共有しているのだと気付いた。
ゴジラが熱線を打ち出すとき、背中の1番大きな背びれが勢いよく内側に戻ることで、銃の激鉄のような役割をして熱放射に前方への推進力を加えているのだ。
お前さんがたが思ってるほど、熱線をはくのだって簡単じゃないんだと、異常な生物の異常な体内構造に想いを馳せてみる。ホントにケレンのあるギミックだった。
こんな怪物がボロボロの戦後日本に来ちゃったもんだから、さあ大変。世界情勢をかんがみたアメリカの援助も得られないため(この設定ちょっとムリあるよな)、東京を襲うゴジラを退けるため民間による打倒作戦が展開されることとなる。
敵前逃亡した元特攻隊員の青年・神木隆之介が事実上の主人公となり、ゴジラの脅威の渦中で燻る特攻隊員の精神性を中心に据えながら、生き残ったものたちが民間による自衛を為していく姿には、アツい感情がこみ上げてきた。
家族や家をすべて失ったものたちに、唯一残された繋がり。それは、かの時代日本男児みなが共有した「青春としての戦争体験」だと、右翼色が強くなりそうな思想を打ち出しつつも、軍国主義な精神性を否定していく物語には好感を持てた。
同じく山崎貴監督の『ALWAYS 三丁目の夕日』では、ないことにされてきた戦後騒乱の生々しい傷跡にフォーカスをしぼり、ちゃんと負(マイナス)に目を向けようとしているのはいい。けれど、役者さんのセリフのテンションがハイかミドルしかなくて、ローギアでしんみりみたいなのがないから、だんだん疲れてくる。神木くんの戦後PTSDや、空襲で子を失いつつも後に助け合ってくれる安藤サクラのツンデレも、もう少し本領を発揮した演技で見たかった。
実戦経験はなく、特攻で自分だけ逃げて、さらに仲間まで見殺しにしてしまった神木くんの業と負い目については、ご家族揃ってを信条とする日本のメジャー映画では持て余すほどの重みがあっただけに惜しい。
自分だけのうのうと生き抜いた人間が、終わりなき戦争体験を引きずっていくのは、これはこれで文学ではあるのだけれど、演出の強弱が行き届いていないせいで、「役者の力んだ顔なんかより、はやくゴジラみたいなあ」ってソワソワしてきてしまう。
これを杜撰な演出・演技だとはいて捨てるのは簡単だけど、僕の好きなVSシリーズの人間ドラマパートもこの程度だったような気がしてきて、複雑な思いが去来して悲しくなってしまった。
でも、背びれと顔だけを海面から出して海を泳ぐゴジラや、山間部を移動するゴジラに飛行機が機銃掃射を浴びせるところなど、新しい技術で作られた懐かしいルックをみられたから満足度は高い。願わくば、毎年の大型連休映画としての連作体制を復活させてほしいなあ…。