ヨーク

火の鳥 エデンの花のヨークのネタバレレビュー・内容・結末

火の鳥 エデンの花(2023年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

本作『火の鳥 エデンの花』はかの手塚治虫の代表作『火の鳥』シリーズの中の『火の鳥 望郷編』を映像化したものなのだが、なぜ望郷編ではなくエデンの花などというサブタイトルに変更したのか、観る前はその理由が分からなかった。観終えた後だと、あぁそういうことか、と得心したがどっちかというと負の方向での納得という感じであった。
ちなみに『火の鳥 望郷編(漫画少年版)』は76~78年にかけて発表された作品なので、今さらネタバレもクソもねーだろ、大体が『火の鳥』読んでないとかモグリもいいとこなんだから、ということでこの感想文は完全にネタバレ全開で書かせてもらう。『火の鳥』なんて読んだことねーよという人はこんな駄文に目を通す暇があるのならさっさとアマゾンでも紀伊国屋でもいいから全巻セットを購入して読むべし。本当に悪いことは言わないから一度くらいは読んでおけ。あと『星の王子さま』もな。ちなみにこの感想文中での原作版の望郷編というのは漫画少年版を指します。念のため。
と、原作の宣伝をしたところで映画の感想に戻るが2.5となっている本作のスコアの時点で大体察せられているかもしれないが、全然ダメでしたね。ちなみに俺は『火の鳥』の中でベスト3を挙げろと言われたら『未来編』と『鳳凰編』と『望郷編』を挙げると思う。まぁそれくらい好きで思い入れのある作品なのでハードルが高くて見る目が厳しくなっているというのはあるかもしれないが、しかしそれでも酷かったな。少なくとも原作が大好きという人にはおすすめできる代物ではない。
その辺の理由を書く前にザッとしたあらすじを説明すると、時は未来の地球で地上の人口が増えすぎて宇宙移民が奨励されるようになった時代。そんな時代に主人公のロミと恋人のジョージは成り行きで巨額の金を強盗して指名手配から逃げきるために未開発惑星を扱う怪しい不動産屋の案内でエデン17という未開の星へ辿り着く。そこで二人っきりで生きていくことになるがロミが妊娠した直後に不幸なことに夫と死別。残されたロミは何とか出産後にある方法で子孫を残すことに成功するがやがて地球への望郷の念に駆られて何とか帰郷することを夢見るようになる…というお話です。
本作『エデンの花』も大体はこの流れである。原作未読の者が一本のSF映画として観るのなら決して悪くはないかもしれない。だが個人的にこれが望郷編の映像化ですと言われたらそれは無いな、と言わざるを得ない。理由はたった一つで、この映画版では原作にある重要な設定がオミットされているからだ。それは上記したあらすじでの”残されたロミは何とか出産後にある方法で子孫を残すことに成功するが”という部分なのだが、その方法というのが近親相姦なのである。ロミは自分の息子と性交して子孫を残すことにしたのだ。さらに言うと自分の肉体的な若さを保つためにコールドスリープまでして。あとはそれ以外にもロミが産んだ兄弟たちが食糧難の末に人肉食に至るシーンも原作にはあるのだがそこもこの『エデンの花』ではカットされている。俺個人の考えとしてはその部分をカットしてしまったら望郷編を映像化する意味など何もないとすら思う。別に母と息子が近親相姦するシーンが観たかったとか人肉を食うシーンが観たかったというわけではない。原作にもそれらを直接的に描写したシーンはない。ただ原作ではその二つは物語全体のテーマとして決して避けては通れないものとして描かれているのだ。
ではそのテーマとは何なのかというと、かなり噛み砕いて一言でいえばシステムとしての生命の中に人間性はあるのか? ということである。どういうことかというと原作で重要なモチーフとして描かれる近親相姦も人肉食もほとんどの文化圏では忌むべき禁忌として取り扱われる。ま、当然といえば当然である。それらはほぼ人類全体におけるあらゆる意味でのタブーとして共通しているものなのだ。ただ、そのタブーが唯一といっていいほどに見逃される状況がある。それは個と種の両方の意味で生きのびるため、という状況下である。極限状況下で生きのびるために人肉食をしたという話は戦時下や山や海での遭難時の逸話としてよく聞くし、それを第三者が批判することは困難であろう。それと同じように本作では異星にいるたった二人の男女が母と息子であり、種を存続させるためにはその二人が性交をするしかないという状況になるわけだ。
もちろん地球からやって来た文明人としてのロミはそれが禁忌であることは理解しているのだが、本能という名の生命のシステムは次代の種を残すということを最優先しようとする。ドーキンスじゃないが遺伝子は自らを複製するためならば何でもするし、そのためにこそ生命体は生きていて、肉体とは遺伝子が乗るための器に過ぎない、ということを突き詰めれば星の上でたった二人になった男女が母と息子だったときに何をするのかは明白であろう、といういわけだ。兄弟同士の人肉食も同じで、生き残るためなら手段は選ばない、大を生かすために小さな犠牲を、というわけだ。
そしてそこまでして生きのびたロミとその子孫はあるきっかけを経てある程度の文明レベルの社会を築くことに成功してロミはエデン17の女王として君臨するのだが、だがしかし彼女には望郷の念が生まれてきてどうしても自分が生まれ育った地球へと帰りたいと思うようになってしまうのである。そのどうしようもない業の深い人間性というものが原作では主軸のテーマとして描かれ、そこにある人間性が本能と理性と子と親と社会と個人とを往来しながら、生命とはシステムなのか? ということを問いかけるわけだ。
そのようなテーマを浮き上がらせるために異星の極限状況下での近親相姦と食人というモチーフが使われたわけだが、繰り返すように本作ではそこがカットされているのだ。はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!??????? ですよ。そこをカットするなら何で『火の鳥 望郷編』を映像化したの!??? ってなるよね。これじゃ単に上京してホームシックになった女が田舎に帰省しただけの話じゃねぇか。あ、でも本作は『火の鳥 望郷編』じゃなくて『火の鳥 エデンの花』なんだった。そっかぁ、本作に望郷編というサブタイトルを付けなかったのは製作側に残された最後の良心だったのかぁ…。ということで感想文冒頭のサブタイトルが変更されていたことに得心した理由へと至るのである。
ちなみに原作の素晴らしい部分でオミットされていた箇所としては牧村が『星の王子さま』を朗読するところもバッサリとカットされていたのだが、そこはまぁ途中からは無いだろうなと思っていたよ。生きることそのものでもあるシステムと人間性の相克やそこに潜む宿痾、さらにその先にあるのかもしれない、一度失われなければ知り得ない愛、といった原作にあったものを描くつもりなどさらさらないのだろうというのはロミの業から逃げた時点で明白だったので中盤くらいからは期待もしなかった。原作でそういう風に描かれたロミを、さらにそこからもう一枚隔てた外部から、決して自分が望む愛を手に入れることができない人間として彼女に憧れとも尊敬とも、何とも言えない感情を向ける牧村を描くことなどこの映画では不可能だろうから。ちなみに牧村が原作の最後で『星の王子さま』を朗読するのは正に王子さまのように生きて、自分だけの薔薇を見つけることができたロミに対する敬意なのだと思う。
ちなみに牧村は『火の鳥』シリーズの中でも屈指に好きな人物で、彼をきちんと読み込むためには『宇宙編』も必須になるので敢えて原作ラストのシーンは削ったのかもしれないが、しかしそれでも『星の王子さま』のくだりをカットは理解に苦しむな。これじゃコムを筆頭としたエデン17の住民が視覚も聴覚もない理由も分からないじゃないか。
ま、だからこそ望郷編という名は半歩下がらせてエデンの花というサブタイトルにしているのだろうが、と繰り返したところで映画の内容にはほぼ触れずに原作と比べたときの文句しか言っていないことに気付いたので少し映画の内容にも触れておくか。
キャラデザは良い意味で古い漫画っぽいシンプルさがあって好き。宮沢りえを始めとした役者陣は文句なし。特にズダーバン役のイッセー尾形は絶品。作画も劇伴も別に悪くはなかったし、正直原作を全く知らない人が観たら、まぁこんなもんかぁ、くらいでそこそこ満足するSF映画ではあると思う。ただ、原作を愛している人間にとってはどうしようもない駄作であるが。
ちなみに本作のスコアの2.5というのは特に深い意味はなくて2.4でも2.6でも良かったのだが、今までの俺のレビューで2.5が一本もなかったのでせっかくだからそこに置いておくかという程度の意味しかない。ま、原作好きからしたらどう考えても3.0以上にはできないなという作品であったが…。
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