垂直落下式サミング

アイアンクローの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

アイアンクロー(2023年製作の映画)
4.7
往年の外国人レスラー「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックは、プロレススーパースター列伝で名前を知っていた。
ブルーザー・ブロディの回で出てきた男。ブロディにプロレスのいろはを教えた男とされており、本人もリングに上がる現役レスラーでありながら、興業のプロモーターとしても活躍していた。この人の言動やキャラクターは、梶原一騎的な脚色っぽい部分だけれど、実際にブロディがアメフト選手から転身する際に師事したのは本当らしい。
日本もプロレスブームのただ中にあった時代が題材とのことで、ブロディやフレアーなど、名前を知っている往年の外国人選手がたくさん出てくる。なかでもハリー・レイスが激似。
「成功には痛みがともなう」成果主義というマチスモを人生の初期設定としてインプットしてしまう教育は確かに危険だけれど、フリッツ・フォン・エリックは少なくとも幼少期はちゃんと息子の相手してくれるいい父親にみえた。なんでもかんでも神様に頼みなさいって、典型的なアメリカ田舎白人のハードクリスチャンな母親のほうがヤベエやつに見えましたけどね。少なくとも、僕の目には。
悲劇を産み出してる元凶なのは明らかなのに、父親のこと憎みきれなかったもんな。そりゃあ偉大なレスラーなんだから、人間としてはどこか欠けてて当たり前でしょみたいな…。
これを害毒な男性性の形作る抑圧が生んだ悲劇と言うのは簡単だけれど、こうとしか生きれない奴だっているんだよ。父親という存在は、男の子にとって想像以上にデカイ。よくも悪くも。
最新版の価値観で、昔の毒親を糾弾しても仕方ないと思う。星一徹の家族観が美しい物語とされていた時代なのですから。梶原一騎ワンスモア。あしたのジョーより巨人の星。僕は、どっちかっていうとあっち側の倫理で生きてきたから、これでなかなか体育会系が性分らしく、どうあっても男性性への信仰は捨てきれない。
上から叩きつけられる良水を口に含みながら、フェミニズム時代の流れに逆行してます。これが、よくないって頭ではわかってんだけどさぁ…。
非凡なる最強の肉体は、常軌を逸した鍛練と精神によってこそ成る。足りない人間は、自身の足りなさと向き合い、才あるものたちとの差を埋めていく。
強さとは人生。価値あるもの。知りたければついてこい。より大きく。強く。速く。戦え。男はサバイブしないとダメんなる。ダメだね。僕の初期設定は、この家族と大差ないらしいですわ。
フォン・エリック兄弟を演じた役者さんたちは、華のなさが素晴らしい。四兄弟みんな絶妙にぱっとしない顔つきでよかったですね。みんな運がなくて、身体が弱かったり、精神が弱かったり…。そもそも、父親から受け継いだ必殺のアイアンクロー自体が、悪役のフィニッシュホールドなのだし、誰も彼もいまひとつトップレスラーの器じゃないのが残酷だった。
最後まで身体の重体故障がなかったケビンでさえダメだったのは、やっぱスター性があと一歩足りなかったんだと思う。マイクパフォーマンス噛み噛みで何度も撮り直したり、勝ったのに全然言葉が出てこないっていう描写が可愛らしかった。
待ちに待ったタイトルマッチ!ついに俺がベルトを持ち帰る番だと意気込むも、現チャンプ・リック・フレアーの煽りプロモーションに、圧倒的な格の違いをみせつけられてしまうのがせつない。誰が相手でもリングをフレアー劇場にしてしまう圧倒的なスター性は、欲しても得がたいものだなぁと…。
親子の関係は愛憎入り交じるって感じで収拾がつかなくなる感じでもなくて、妙にスッパリと終わりを迎える。ここで、罪悪感のないふたりの毒親の憐れさにぐっと寄ることで、単なる悪としては切り捨てない姿勢が素晴らしかった。
教育虐待で子供の人生を潰してしまうのは、血のかよった普通の人だというやるせなさ。残念ながら、都合よく断罪できる悪なんてものはこの世に存在しない。
抑圧なんかとは無縁に育ってきた人間が、すべての人は自分の人生を歩むべきだなんて、そんな無責任なこと言って悦に浸ってないでほしい。田舎に生まれた男の子は、その時点で自分の人生なんてないんだから。
最後、登場人物の顔がストップモーションするカーテンコール系のエンドロールに、えもいわれぬ懐しさを覚える。ひさしぶりにみたなぁ。これで感動しちゃってんだからさぁ。僕は、マチスモに生かされてきたもんですから、今更そう都合よくイチ抜けた!なんてさせちゃくれませんね。