ヨーク

サムサラのヨークのネタバレレビュー・内容・結末

サムサラ(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

これは久々にすげぇ映画を観てしまったなという作品でしたね。なんだろう、映画体験とでも言いようがないのだが、年間100本以上は映画館で映画を観ている俺だけど「世の中にはいろんな映画があるなぁ…」と染み染み思ってしまった。ちなみに俺は本作に対してはあらすじを斜め読みした程度で挑んだんだけど、前世とかラオスの寺院とかそういうワードが頭に入っていたので何となく(スピリチュアルな映画かな…)と思っていたんだが、実際に観てみるとまぁスピリチュアルはスピリチュアルかもしれないが、その一言ではとても説明できないぶっ飛んだ映画でしたね。ちなみにタイトルである『サムサラ』というのもイマイチ耳慣れないワードだとは思うが、俺はガキの頃に『サンサーラ・ナーガ』というファミコンのゲームをやったことがあって、その知識として”サンサーラ”という語がサンスクリット語で輪廻転生を表すということは知っていたから、なんとなく映画の内容を察しているところはあった。
だがそれでもやっぱぶっ飛んだ内容の映画なのでね、できればこの衝撃はネタバレなしで経験してほしいと思うのだが、しかしネタバレなしだとこの映画の感想文なんて書けるわけがないだろうというところもあるので本作の感想文はネタバレ有りとして書かせていただきます。
ただまぁその核心に迫る前に軽くあらすじを書いていくと、本作は2部構成の映画になっているのだが前半部分はラオスの寺院で少年の僧たちが共同生活を行っているところが描かれる。そんでその僧たちが有名な滝かなんかに行って、そこでラッパー志望かなんかの青年に出会うのだがその青年の祖母は死を迎えていて、ラオスの伝統か何かで死後の世界へと導くための絵本のようなものを死の床で読み聞かせられている。第2部の方はその祖母が死んだ後だと思われるのだが舞台は一気にアフリカのタンザニアの、確かザンジバルに飛んでその地での漁師たちの生活の描写に移るのである。その一見何の繋がりもなさそうな1部と2部の間に何があるのか…という映画である。
では本題に入っていくが、ここまで前置きを書いておいたのでもうネタバレ踏みたくない人は帰ってるよな!? ここから先はネタバレデンジャーゾーンだぞ! じゃあ書いていくからな!
本作では上記したように2部構成になっているのだが、1部で死んだおばぁちゃんがタイトル通りに輪廻転生して2部に繋がるというお話である。そしてその1部と2部の間には「これから魂が次の肉体に生まれ変わるために感覚的な旅が始まります、皆様もその旅に同行しましょう、さぁ…瞳を閉じて瞑想するのです」と字幕が出るのである。この急に第4の壁を越えてくる感じはすわプリキュア映画の”みんなでプリキュアを応援しよう!”のアレか? という感じの唐突さで面食らう。
でもまぁ幕間演出としてはこういうのもあるかな…とか思ってると実際に画面が暗転して三原色的な色が代わる代わる映るだけになるのだ。しかもそれが数分続く。え? まさか映写機トラブル? とも思ったが音は淀みなく流れ続けているのでそれは無さそう。ならばちょっと長めのインターミッション的なものかな…とも思ったのだが、結果から言うとこの光の明滅と音の奔流だけのシーンは多分10~15分くらいは続いた。
いやないだろそんな映画! さぁみんなで瞑想しよう! レッツ来世! って言うまではいいとしてもその後にガチで瞑想体験をさせようとしてくるのかよ!? っていうのはね、これはかなりの衝撃ですよ。繰り返すがこのシーンは尺的にも10~15分はあるんですよ。もしかしたら20分近くあったかもしれない。トータル113分のランタイムの映画でそれだけの尺を瞑想タイムに充てるってどういう判断なんだよ! ガチで宗教体験させるつもりなのかよ! って、まぁビックリするよね。この部分は本作で一番衝撃的な部分だと思うから、多分今後『サムサラ』が劇場公開されるときはこのことも含めた上での宣伝をされると思うんだけど、俺的にはここは前知識無しで観てほしいなぁと思いますね。いやだって急に「みんなで一緒に瞑想しましょう」って言われたときはびっくりしたもん、本当に。
ただ、本作はその衝撃的な瞑想パートはありつつも、ラオスの老婆が生まれ変わってタンザニアへと舞台が移るというのも面白くてそこも良かったんですよね。前半部分はチベット仏教がベースであろうラオスでの輪廻転生という死生観が語られるのだが、ここはやや教科書的というか説明臭い感じはするんですよ。ラオスの若い僧たちの姿が生き生きと描かれてはいるんだが、まぁ若干説教臭い感じはする。しかし舞台がタンザニアに移るとその仏教的死生観もかなり緩くなり、世俗の生活感が前に出てくる。だが思想としては輪廻や円環構造というものは生きていて、たとえばタンザニアの産業の一つである海藻を原料とした石鹸の製造のドキュメンタリーチックな過程の描写などはちゃんと生まれ変わりという意味での輪廻転生を思わせもするのである。
もちろんタンザニアはメイン層としてはムスリムが多数派で仏教徒は少ないので輪廻転生の思想がタンザニアで根付いているとかいうことは特にないし、また別の視点としてマサイ族の死生観なんかも紹介されるのだが、それらを全部内包したうえで色々なものがこの世界では循環されているのだということが2部では語られるのである。ここ面白かったですね。1部は世界の循環を宗教的なものとして教科書的に紹介していたのだが、2部ではそれを実践編として生活の中にあるものとして描いているのだと俺は思った。
その対比も面白くて非常にユニークな映画でしたね。1部で亡くなった老婆が結局何に転生したのか、もしくは転生などしていないのか、は観る者それぞれに委ねられるのだろう。とても懐の広い映画だと思う。それに加えて例のインパクト絶大な瞑想シーンもあるわけだからね、これは最初に書いたように、すげぇ映画観ちゃったな、となるわけですよ。
これは一見の価値ありますよ。上映機会の少ない作品だとは思うがチャンスがあれば是非観てほしい。そして瞑想しましょう。まぁ俺はひねくれ者なので半分くらいは目を開けていたが…。あ、でも先日感想を書いた『ペルリンプスと秘密の森』以上に光の明滅は激しかったので、パカパカ的な演出に弱い人は素直にお目目をつぶった方がいいと思います。
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