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The Witch's Mirror(英題)のhorahukiのレビュー・感想・評価

The Witch's Mirror(英題)(1962年製作の映画)
3.8
チャーノウルエータ×メキシコホラー界の重鎮タボアダの豪華コンビによるゴシックホラー。

大まかな展開は『レベッカ』→『顔のない眼』→『芸術と手術』。その他にも『魔女(1922)』『断崖』『アッシャー家の末裔』『早すぎた埋葬』等、錚々たるレジェンドホラー映画(小説)引用の贅沢MIXは流石のメキシコホラー。ここまで借り物で構成されながらも特に違和感なく見られるのはウルエータ×タボアダの手腕でしょうね。本作でABSAがホラー映画製作会社としての地位を確固たるものにしたらしい。

邪魔になった奥様エレナをゴミ夫が毒殺。エレナの名付け親であり魔女でもある家政婦は、すぐに後妻を連れ込んで来たゴミ夫に対して復讐を企てる。エレナの幽霊を墓場から召喚し『レベッカ』の“不在の実在”的なエレナの残り香が精神的に夫婦を追い詰めていく。その結果混乱した夫婦はボヤ騒ぎを起こし後妻が大火傷。実は医学博士だったゴミ夫が、包帯グルグル状態になった後妻を治すために、盗んだ死体から皮膚移植を始めるが…。

マジでゴミ夫がゴミ夫過ぎて魔女を応援しちゃうんだけど、リベンジムービーとしては魔女のやり口自体は控えめ。その代わりにいろんな映画引用を盛り込み、どんどんと加熱していく復讐手口が面白かった!ゴミ夫が医学博士だった…っていう情報の後出し感とかテキトー過ぎて堪んない!

スクリーンに見立てた大きな鏡を覆う濃い霧。その奥に浮かび上がる悪魔(造形が超チープ😂)と死をもたらす元凶としてのゴミ夫。それに比して微動だにしない後妻の圧力がカメラのズームアウトによって大きくなる。絶対的な超越として悪魔が鎮座し、本作の魔女もゴミ夫も全てが掌中…というよりも鏡の一方向性として彼方から流入した思考により動かされている感覚が漂う。その境界を本作は越えることはなく、見せかけだけの魔女→悪魔へのお伺いは決定事項の確認でしかない。それは自己の願望である深層との会話を思い起こされるも、その要素は自ら意図的に放棄しているように見える。

その代わりに鏡像と実像の対比を意識した殺害演出にもエレナは鏡像を既に捉えており、それ故にその後の視線の相剋はそのまま支配・被支配な関係性へと移行する。それは悪魔と魔女に関するものと同様で常に一方向の決定事項であり、逆らうことはできない。魔女とデボラ間でも鏡なしで鏡像の如くな演出を行なっており、手前と奥によって決定事項の一方向性を際立たせ、更にその後の着火時にも鏡像との関係はエレナとデボラにおいて反復しており、鏡の彼方側を超越とみなした方向性は、そちらへの反抗を虚無の如くに映すのみ。非常にキリスト教的だと思うし、それゆえに超越を悪魔としなければならないのも納得。存在能力を引き受けずに欲望のままに逃避することを神との対話的観点から現世へのあり方への問い的な仕方で描くのはこの時代のメキシコらしさなのかな。面白かった!
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