「ーーおれが建てて、おれが破壊するということに、さしたる意味はないよ、といった。ゲーリー・クーパーの映画にそういうのがあったがね、あれは倫理的な理由からだったろう?」大江健三郎『さようなら、私の本よ!』(2005年)
「それも、もっぱら死んだ祖母がなぜ両耳を押さえていたか、ということに関わっていた」
「まさに死ぬほど苦しい、それで祖母は叫んでしまう自分の声がうるさくて、耳をふさいでたのか?それなら母親はその段階で、続いている祖母の声で目をさましていたはずじゃないか?祖母は自分の声じゃない、「大きい音」を聞いて耳をふさいだのだろう。横に寝ている母親には聞こえなかったのだから、谷間に鳴り響く音というのじゃなく、祖母の身体の内側に湧き起こる音だったはず。それが高まるので、耳をふさいだが、音は弱まらず、恐さのあまり自分でもワーッと叫びながら死んでいったのじゃないか?」
2005年の「大きい音」(『宇宙戦争』『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』)
若い「タケチャン」の自爆テロと「自分の木」の下に佇むオルガ
pseudo-coupleの切り返しショット
古義人と繁、武とタケチャン、ウラジーミルと清清、ロバンソンとバルダミュ、ムイシュキン公爵とロゴージン、「小さな老人(ゲロンチョン)」の家と「おかしな老人(マッド・オールド・マン)」の家、イスラエルとパレスチナ
ところで、製作からちょうど20年にあたる今年3月に『アワーミュージック』4Kリマスター版ブルーレイが発売されるとのことである。遺作短編との併映でフィルム上映という奇跡は期待しないが、せめてDCPが上映されることぐらいは期待しつつ。
ちなみに、ライカート『ショーイング・アップ』で息子の失踪を報せる電話を取りに行く母親は庭仕事に勤しんでいた。良かったですよ。