ヨーク

少年、機関車に乗るのヨークのレビュー・感想・評価

少年、機関車に乗る(1991年製作の映画)
3.9
フドイナザーロフ特集で唯一時間が合わなくて観られなかった『少年、機関車に乗る』だが、延長戦的な上映でなんとか観ることができました。ありがとう目黒シネマ。そしてこれでフドイナザーロフはコンプリートかなと思ったんだけど、フィルマークスのフドイナザーロフのページを見たらまだ『タンカー・アタック』とかいう未見の作品があった。今回の特集でチョイスされてなかったのは権利的な関係なんだろか、その辺は想像するしかないがしかし『タンカー・アタック』ってもうB級の匂いしかしない上に娯楽アクションものっぽいタイトルなんだが、フドイナザーロフもそういうの撮ってたんだな。いや完全にタイトルの印象で言ってるだけだけど…。
まぁ『タンカー・アタック』のことはいいよ。それは機会さえあれば観たいけどここは『少年、機関車に乗る』の感想文なので。んで『少年、機関車に乗る』だが、本作はフドイナザーロフのデビュー作らしい。これは映画に限らず音楽や小説なんかでもよく言われるけど、デビュー作にはその作家の全てが詰まっている、ということがある。ま、もちろん技術的には稚拙なんだけど大成した作家のその作家性というか個性というものは大体デビュー作に色濃く表れているよ、ということですな。それでいくと本作も如何にもフドイナザーロフの作品という感じの映画であった。
お話は至極単純。タジキスタンだったかな、具体的な地名とかはあんまり出てこなかったと思うがとりあえず中央アジアの田舎町的なところで暮らしている仲のいい兄弟がいる。確か祖母と3人暮らし。兄は高校生くらいで弟は小学校低学年くらいだろうか。悪ガキ仲間とつるみながら非合法っぽいバイトとかして遊んでた彼らだが、どうも父親が離れた街で暮らしているらしくて機関車に乗って父親に会いに行くというロードムービーです。ある意味ネタバレになるかもしれんが、ぶっちゃけそれだけのお話です。
フドイナザーロフ的にはあまりダイナミックな展開がないというか『ルナ・パパ』や『海を待ちながら』に比べたらあまりにも普通の情景を撮っただけの作品なのだが、そのルーツがここにあるのだと言われたら確かにそうだなと思う映画であった。『ルナ・パパ』の予想できない展開の数々や『海を待ちながらの』海が干上がるというトンデモな展開というのは非常にぶっ飛んだ非日常ではあるのだが、フドイナザーロフ作品でその非日常が際立つのは前提として地味で地に足付いた普通の人々の描写がしっかりしているからなのである。そこは『スーツ』の田舎のガキ共のあるある感からも分かると思う。
そこですね。本作ではその普通感のある日常の描写とそこから飛躍しそうでしない感じが素晴らしかったですね。例えば印象的なシーンとして主役の兄弟が父親のいる街まで機関車で移動するんだが、その道中がとてもユーモラスで色んな出来事が起こる。中でも運転手が少し休憩したりしてる間に弟が勝手に操縦桿を握って機関車のコントロールを奪うシーンとかがあって当然運転手は兄弟にぶち切れるんだが、ごめんごめんもうやらないよ、って謝られたら、まぁいいけどさぁ…、みたいな感じで流すのである。いやダメだろ! そんな危ない奴らとっとと降ろせよ! って俺の中のまともな大人が叫ぶのと同時に、この緩さがフドイナザーロフのいいところだよなとも思うのである。
いざ再会した親父との感じも全然険悪ではないしむしろ親父は兄弟を快く迎え入れるんだけど、絶妙にぎくしゃくする感じとかがユーモアも交えて描かれる。多分まだ籍は入れてないんだろうけど新しい親父の女も全く悪い人ではないのだがそこにある距離感がハッキリと描かれる。『ルナ・パパ』や『海を待ちながら』のような変なことが起こりそうで、起こらない。でもその両作の根底にある質実な描写は本作の時点で既にある。そういう感じでした。
まぁ、本作に於ける日常からの飛躍的なシーンはタイトルにもある機関車のシーンなんだろうな。あのシーンの浮遊感と幸福感は凄く良かったですね。例えるならば宮崎駿作品における飛翔シーンのように、少しだけ現実から浮いたシーンなのだと思う。列車の音が凄く良かったなぁ。あと、小津の静けさとか北野作品、特に『菊次郎の夏』みたいな緩さがあって良かったですね。
地味な小品という感じではあるのだが面白い映画でした。『タンカー・アタック』も観たいな…。
ヨーク

ヨーク