垂直落下式サミング

ジュラシック・パークの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

ジュラシック・パーク(1993年製作の映画)
5.0
大富豪ジョン・ハモンドの招待で、古生物学者グラントとサトラー、そして数学者マルコムが南米コスタリカの沖合いに浮かぶ島を訪れる。そこでは、最新の遺伝子操作技術によって太古の恐竜たちを蘇らせていて、恐竜を見世物とした前代未聞のアミューズメント・パークとなるはずだったが、ある夜、安全装置が解除され、恐竜たちが柵の外へ脱走、島に残された人間たちが次々と襲われていく…。
子供嫌いの男が成り行き上、父親の役割を担うことで、父性を獲得していく。中期スピルバーグ作品でよく描かれる「子供から父親へ」というテーマがしっかりとあらわれている。
いろんな人が言い尽くしてると思うけど、やっぱりブラキオサウルスのシーンは、いつみても人生を変えられるくらいの感動がある。恐竜がいるっ!そこにいる!!サム・ニールとローラ・ダーンとジェフ・ゴールドブラムの演技とか、とかく自分の恐竜を自慢したいリチャード・アッテンボローの無邪気で悪意のない感じとか、すべてが幸せでしかないもんな。
そんで、やっぱりマイケル・クライトンの考えた設定がバツグンにいい。琥珀のなかに閉じ込められた蚊から恐竜の血液を取り出して、最先端の遺伝子工学によってDNAを復元し、恐竜をクローンとして蘇らせるというSF的なアイデアの勝利。シンプルながら、現代に太古の絶滅動物を蘇らせる方法があるとするなら、これしかないって説得力が担保されている。
DNAの欠落部分をとあるカエルのDNAで補っていたために、パークの管理に重大な支障をきたす事件が起こってしまう。ここでマルコムが「生命は必ず道をみつける」とか言うんだけれど、そもそも、あそこにいる恐竜たちは人工的に作られたものなのだし、カエルのDNAを使ったからその特徴が現れるってのは、人間にとって予測できなかっただけで、科学的にはある意味必然であると思うんだけどな…。人為による偶発であって、不確定なランダム性によって為ったわけじゃないと思うんだけど。よくわかんねえわ。
目がギョロギョロのマルコム博士を演じるジェフ・ゴールドブラムは、とても好きな俳優。『ザ・フライ』や『インデペンデンス・デイ』などに出演しており、80~90年代のSFモンスター作品にとっては欠かせない人物。
車のなかでカオス理論の不確定性を説明するとき、滴る水滴を指でこうやって、髪触るところとか、ちゃんとキモくていい。でも、グラントとサトラーがいい感じなのを知ったら、ああ君らそうなのねゴメンねってもう口説いてこなくなるのが好きポイント。わきまえのある男の人は好感度高め。
若いころのギラツキもいいけど、最近の白髪のおじいちゃんになってからは、ちょうどいい感じのダンディズムを漂わせていて、旬の長い俳優だなあと…。
チョイ役の人たちも、すごくいい。技術者で若くて細いサミュエル・L・ジャクソンも出てるし、「ha-ha-ha!魔法の呪文を言わなきゃダメだー」の裏切りデブも好きだけど、お気に入りはヴェロキラプトルを単独で狩りにいく男、ロバート・マルドゥーン!
俺はサファリの経験が豊富だとか、狩猟の専門家で野生生物の知識があるだとか、自身のいろんな強い設定を得意げに語ったあとで、しっかりと野生の術中にハマって負けるっていう100点のかませ犬。記憶に残るやられ役という意味では、僕のなかでは団長の手刀を見切った人と双璧。茂みの奥にボスラプトル…、俺でなきゃ見逃しちゃうね(死)
ハモンドに孫を迎えに行ってくれと頼まれたら腹ペコティラノサウルスに追いかけられたり、超イキった結果ヴェロキラプトルの囮作戦にしてやられたりと、散々なマルドゥーン氏だが、実は原作小説だとめっちゃ強キャラ。
パーク崩壊の危機に見舞われた際は、終始最前線に立って事態の鎮圧にあたった。サファリの経験を武器に、ヴェロキラプトルはもちろんのこと、なんとあのティラノサウルスまでをも撃破するなどして、パーク脱出に大きく貢献していたのだ。
初稿では生き残る予定だったらしいが、映画版はグラント博士の成長物語をメインに据えているので、ひとつの映画にヒーローは二人要らないという判断だったのだろうか。
最後に短パンのオッサンが助けに来るよりも、ティラノサウルスがドドンッと出てきたほうがいいべ!てなわけで、スピルバーグ監督の意向で脚本が書き換えられ、レクシィが白亜紀パワーをみせつけ咆哮する名シーンが生まれることとなるのである。