カラン

ハロウィンのカランのレビュー・感想・評価

ハロウィン(1978年製作の映画)
3.5

ハロウィンの夜、6歳の少年が姉を惨殺。それから15年、精神病院に収容されていたマイケルが脱走して、ハロウィンの夜に幽霊屋敷になっていた家に戻ってくる。


☆ポジティブ

街。ひっそりとしていて、人気がない。陽光をしっかりと取り込んでいるが、灰色がかったフィルターをかけたのか、カラーグレーディングの処理をしたのか、独特の色調で悪夢が再来する夜までの間の静謐さを描く。ただ、この灰色の静けさによって、早くスラッシャーやれよ、という切迫を抑えたり、交わしたりできていただろうか?以下のネガティブに書いたことこそが、愉しいのだと思う鑑賞者もいるのだろうが、私はそうは思わなかったので、ポジティブな要素はこの程度である。


☆ネガティブ

①フライシャーの『見えない恐怖』(1971)と同じたぐいの選別的なフレーミングが、フライシャー同様に効果的でない。フライシャーはブーツだけ、カーペンターは背中だけを永遠と映す。こうした固定されたフレーミングをただ続けるのは、ぎこちなくなるだけで、美しくもないし、怖くもない。怪しいやつの背面がただ映っているだけで、楽しくない。目が自由ではなくなる。目のための芸術なのに。

②6歳のマイケルは姉を惨殺したとき、ピエロの格好をしていて、家の前で呆然と立ちつくす。診断した医者はマイケルの中に悪魔的なものを見たんだと、だから、病院に幽閉したんだと警察に話すが、悪魔的なところが映らない。姉を殺したのとそういう説明が入るだけ。大人になってからも、特に悪魔的でない。ハロウィンのときにドン・キホー○で買ってきてジェイソンのパロディーをしましたっていうくらいの様子。まあ、『ハロウィン』のほうこそが『13日の金曜日』に影響を与えたのだが。

③写真的な画を映し出すためのポーズ系の映画である。『ハロウィン』の場合は、その写真的な画とは犠牲者である。ナイフを下腹部に突き立てた時に犠牲者が作る貞子にやられた顔みたいなのとか、食器棚の戸が開いて飛び出してくる足とかである。この種のポーズ系の映画はポーズを作るために物語的展開も論理性や現実性も詩的技巧も、何を損なおうとも超越的なポーズに向かう。この映画の場合は、アクションが損なわれて、殺害された犠牲者の姿に向かう。こんなアクションならばシリアルキラーにはなれないだろうなと。普通に逮捕されたり、犠牲者の反撃で返り討ちにあって、事件はあっさり解決しちゃうだろうなと白けた気分になる。


☆まとめっぽいの

久しぶりのジョン・カーペンター作品だった。『遊星からの物体X』(1982)を爆音映画祭で鑑賞して以来。1500万ドルと予算規模が本作の50倍くらいだった『遊星からの物体X』と比較すると、本作はいかにもなカルトムービーである。マイケル少年が姉を惨殺する時、家の外から姉の部屋へと得体の知れない視線を導入するPOVは、動きがかなり速く、軽やかである。子供の動きだからだろう。その後、被ったマスクの眼窩の形にスクリーンが刳り取られる。マスクを被ったマイケル少年の視線だからだろう。精神異常と診断される少年の眼差しへのあり得ない同一化を、いきなり迫り、その後は上で①に書いたように、しばらくずっとフライシャー。本作はPOVを介した狂人との同一化を愉しむというニッチな映画なのである。③に書いたようなアクションのぎこちなさも、シリアルキラーに同一化を果たした鑑賞者にとっては、臨場感の一部となるのだろうか?

私にはマイケルのアクションの質と惨殺の結果が見合っていないのが、カルトムービーによくある、飛躍に思えた。こうした映画のフリークはこの種の飛躍を映画を観る前から許しているのではないだろうか。映画を観てそこに映っていたものでその映画を判断するというのが、実はとても難しいことなのだということの実例なのかもしれない。本作は30万ドル程の予算で、世界全体の興収が7000万ドルに達したらしいのである。


4KリマスターのBlu-rayで視聴。画質はそこそこ。音質はよく分からなかった。悪くないのかもしれないが、良いということはないだろう。
カラン

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