ヨーク

ペトラ・フォン・カントの苦い涙のヨークのレビュー・感想・評価

4.6
ファスビンダー特集の四本目です。
四本目とはいうがその中の一本はファスビンダーは脚本のみで映画の監督自体はダニエル・シュミットが務めた『天使の影』があるので純粋にファスビンダー監督作品としてはこれが三本目。まだ全然数は観ていないにわかなのだが、いやこれは今まで観たファスビンダー作品の中では一番面白かったな。久しぶりに映画観ながら「すげぇ…」って声に出して呟いてしまった。ということで感想文の出だしからベタ褒めな『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』です。ちなみに本作はちょっと前にかのフランソワ・オゾンが『苦い涙』というタイトルでリメイクしたのだがそちらは未見です。多分しばらくは見ないだろうな。別にオゾンのことが嫌いとかでは全くないんだけど、とてもこのオリジナルに迫れる完成度はないだろうと思うので。
まぁオゾンの話はいい。本作は非常に特徴的かつ実験的な映画で、観ながら「まるで舞台演劇じゃん」と思っていたのだが観劇後にググってみたらファスビンダーが描いた戯曲が元になっているそうで大元は舞台演劇らしい。やっぱりか~!! と心の中でガッテンボタンを連打したのだが、では本作は舞台劇を映画に焼き直しただけなのかというと、まぁ大元の舞台は観たことないから何とも言えないけど、多分違うと思う。ちゃんと映画でしか描けないことが描かれていた。
お話は実は全然大したことはない。まだ片手で足りるほどしかファスビンダー作品を観ていないけど、本作もその他の作品と同じように共通するものとしてはメロドラマである。簡単に言えばメインの被写体が登場人物の感情で、しかもそれをことさらに大げさに取り上げるような作風の物語、というところだろうか。本作の主人公はタイトルにもなっているペトラ・フォン・カントという女性で彼女は売れっ子のデザイナーなのだが結婚に失敗して今は下僕のように扱っている秘書兼、使用人的なマレーネと二人で暮らしている。そんなある日カーリンという若く美しい娘に出会い、彼女に恋をして同棲を始めるのだが、カーリンの肉体も精神も独り占めにしたがるペトラと次第に軋轢が生まれていき…というお話。
1972年の映画(舞台版はもっと前だったのだろうか)でがっつりと同性愛を描いているわけだが、本作においてそこはそんなに重要ではない。重要なのは舞台が主人公ペトラの寝室兼アトリエの一室のみの密室劇で、途中回想シーンなども挟まない完全な会話劇であるという点である。最初に舞台っぽいと書いたのはそれが理由である。そしてその作中舞台の何が重要なのかというとそこが主人公であるペトラの居城であり巣でありテリトリーであるということ。まぁアトリエ兼自宅のしかも寝室だからね、まさにペトラの本拠地であり居場所なのである。つまり、この場ではペトラが最も強い。一番地の利を得ている、ということである。
そのことの何がそれほど重要なのかというと、本作は、というか俺が今まで観たファスビンダー作品には少なからずその要素があったが、本作はモロに支配と被支配の物語であり社会と個人との物語でもあるということである。ペトラ・フォン・カントという人は支配欲が強い女性として描かれる。だが彼女は手痛い離婚も経験して、その経験から自由、特に女性が持つべき自由を高らかに謳う。男なんかからは自立して自由で強くあれ、というわけだ。だが彼女が一目惚れして同棲を始めるカーリンに対しては完全に自らの庇護下に置き、支配し、コントロールしようとするのである。
その自己矛盾がペトラ自身を徐々に追い詰めていくわけだが、序盤こそ密室劇の特異なシチュエーションにぎょっとしたり中々お話が動かずに居眠りこいたりもしたが、中盤以降にその支配被支配の構図が前面に出てきてからはもうずっとめちゃくちゃ面白かった。それが分かってからは室内に配置されてるお人形や絵画やベッドの柵、果てはカメラのフレームそのものさえがペトラの世界そのものとして描かれていて暗示的な意味を込められているということに気付くのである。そしてそれと同時にカメラのフレーム外のことも徹底的にコントロールされていて、そこに関しては主に終始ペトラに支配されている存在として描かれる秘書兼使用人のマレーネを言外に描くために利用されている。カメラのフレーム外のことなのでそれは映像表現としては描かれないが、例えば音で表現される。マレーネはペトラの代理としてタイプライターを打つシーンが多数あり、そのタイプライターの音は劇中でよく耳にするのだがそのタイプ音は機械的な一定なものではなくときに乱れて大きな音を出したり小気味よく刻まれていたリズムが途切れたりするのだ。
マレーネは徹底して画面の中と画面の外の両方からペトラを見る人として描かれているが、それは単純に作品に感情移入するために観客の視点と同化させたキャラクターというわけではなく、ペトラの支配と被支配の構造の中にいる生身の人間でもあるわけです。そこが分かるとめちゃくちゃ面白い映画なんですよね。彼女がペトラをどう思っているのか、ということ。
また、本作は単に舞台作品を映画として焼き直しただけではないとも書いたが、その理由もそこにある。おそらくだけど、席にもよろうが舞台上では要所要所でのマレーネの仕草や表情は舞台の隅っこであろうと確認はできると思うんですよね。でも本作は映画なのでマレーネがフレームの外に置かれてしまうとそこはもう視覚として確認することはできなく想像するほかない。そこの分からなさ。映画を支配するカメラという目、そこから外れてしまうマレーネの内的な感情というものが浮かび上がるラストシーンは本当に凄まじい映画としか言いようがなかったですね。舞台版には舞台版の凄さがあるんだろうけど、あのラストはもう映画として参ってしまった。あの人形と銃が何を表しているのかを書こうとしたら文章量が倍くらいになりそうなのでやめるが、クサイ言い方をすれば愛と憎しみなんだろうな。いやはや凄い映画でした。
『不安は魂を食いつくす』の感想文で”ファスビンダーはミニマルな関係から社会を描き出すのが上手い”と書いたが、本作でのそれはもう脱帽という域に達していると思う。物語自体はただ単に好きな人と一緒に居られてうれしいだの、関係が上手くいかなくなるとその愛情が裏返って憎らしいだの、たったそれだけのメロドラマなのにここまで重層的な作品になっているのは凄いとしか言いようがないですね。そしてメロドラマとしても登場人物たちが非常に魅力的で、主人公のペトラの傲慢さと弱さはかなり我が身につまされました。ともすればバカ女にしか見えないようなカーリンの芯の強さも好き。
それにしてもライナー・ヴェルナー・ファスビンダーってすごい名前だよね。この名を目にするたびに俺はダフト・パンクの「Harder, Better, Faster, Stronger」を思い出すんだが、俺だけだろうか。まぁそれはどうでもいいか…。
とにかくめちゃくちゃ凄い映画でした。機会があれば是非観た方がよいと思います。
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