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Camp de Thiaroye(原題)のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Camp de Thiaroye(原題)(1988年製作の映画)
3.5
[セネガル、ティアロエ収容所での出来事] 70点

1988年ヴェネチア映画祭コンペ部門選出作品、審査員特別賞受賞作品。センベーヌ・ウスマン長編六作目。1944年、フランスでの戦闘から帰還したセネガル人兵士の小隊は、砂漠に建てられた臨時キャンプに入れられることになった。その中には、パリで教育を受けて仏人の妻子を持つ部隊のリーダー、ディアッタ軍曹や、戦闘のショック状態から抜け出せない兵士ペイズなどがいた。しかし、なぜかキャンプは鉄条網で囲まれ、監視塔まであり、穏やかでない。そんなキャンプでの日常を描いていく。①食事が不味い問題。白人の所長クラスは肉を食べてるのに、普通の兵士はブタも食べないような食事を出される。白人たちは自分の問題ではないと突っぱねようとするが、教養あふれるディアッタの仲介によって食事問題は改善する。②ディアッタ誘拐事件。ディアッタは上官の許可付きで街に繰り出し、白人街の娼館を訪れるが、人種を理由に追い出される。そして、出た先の道でアメリカ人兵士にリンチされ誘拐される。ブチギレた部下たちは、アメリカ白人兵を誘拐して捕虜交換を持ちかけるが、白人上官たちは気が気でなく。③軍服没収事件。これまで着ていた黄土色の軍服を没収されて粗末な制服に着替えさせられる。④退役年金事件。ありえないくらい高いレートでフランス・フランとセネガル・フランを引き換て払おうとしてきた他、担当の白人士官から戦場で死体から金漁りしてきただろなどと侮辱され、ディアッタが小隊の活動を説明するも、鼻で笑われる。その後、キャンプの強制捜査が行われる。などなど。ディアックの故郷の村は米の徴発にあい、女性たちの抵抗の末全員虐殺されたらしく、彼の両親もそこに含まれていた、という設定になっている。これは『エミタイ』そのものじゃないか、と思うなど。

『ハラ』以前の視覚的語りに物語を先導させる手法から転換し、本作品も『チェド』と同じく物語そのものに重きを置いていたが、そもそも白人と黒人の戦いなのでそこまで気にならず。ディアッタと彼が親交を深める白人士官との会話で、彼がナチスの行いとフランス軍の植民地軍への扱いを同じものだとするものが登場したし、そこまで差別意識のない白人士官も口をへの字に曲げていたが、金を払いたくないからという理由で自軍の兵士を皆殺しにする終幕でその言葉が全くその通りであったことを自ら証明する。ちなみに、事件には生き残りがいたが、なんと逮捕されて禁錮10年を宣告され、5人が拘留中に亡くなったらしい。1947年になったヴァンサン・オリオールがセネガルを訪問した際に、生き残った逮捕者は釈放され
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