netfilms

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリーのnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.1
 2012年、ルーカスは突如、『スター・ウォーズ』シリーズ全ての権利をウォルト・ディズニー社に5000億円で売却し、自らも経営責任者から退いた。代わりに「ルーカス・フィルム」のCEOとなったのは、スティーヴン・スピルバーグ、ロバート・ゼメキスの右腕として知られたやり手のプロデューサー、キャスリーン・ケネディである。ケネディとディズニー社はシリーズのフィナーレとなる「エピソード7,8,9」を1年置きに製作することを明言。各エピソードの間には、それぞれ別個のスピン・オフ・シリーズを挟むと発表した。今作はあらかじめジョージ・ルーカスが意図していない物語でありながら、シリーズの記念すべき第1作となった『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』ときれいな結び目を見せる。今再びエピソード4のオープニング・クロールを思い出したい。「大戦の最中、秘密基地を発った反乱軍の宇宙船が、邪悪な銀河帝国に対して初の勝利を収めた。この戦いの中で、反乱軍スパイは帝国の究極兵器の秘密設計図を奪うことに成功する。それはデス・スターと呼ばれていた」このデス・スターの秘密設計図の奪還計画こそが今作のミッションとなる。幼い頃に両親と止むを得ぬ理由で引き離されたヒロインは、そこから地べたに這いつくばる日々を送る。銀河帝国は20年以上もの間、圧政と独裁によって惑星の人々を苦しめて来た。暗黒時代を生き抜いて来たのは何もアーソ家だけではない。冬の時代から彼ら民衆は反逆のチャンスを伺っていた。

 今作では様々な理由で煮え湯を飲まされて来た人々がやがて決起するまでを描いている。しかし人物の相関関係を説明しなければならない前半部分の描写にはあまりキレはない。観客に伝わる内容を心掛けるほど、映画の快楽は逃げて行くのだ。ハリウッド・リメイク作『GODZILLA ゴジラ』の監督であったギャレス・エドワーズはやはりダメかと落胆したところで、映画は突如、勢いを取り戻す。レイア姫やルークのように父性の喪失を抱えたヒロインが「父をたずねて三千里」する物語であれば話の筋としては通るが、ここまでの求心力は得られなかったのではないかと思うほど、父性の喪失が現実の喪失となったところから、有象無象の集団が突如輝きを放つ。ジョージ・ルーカスが提唱した9話の大河ドラマが、フォースにまつわる選ばれた才人たちの競演だとすれば、今作にはジェダイの正統系統者はおろか、フォースを扱える人物は1人も出て来ない。せいぜいジェダイの騎士を多数輩出した「ジェダ」という星に住むチアルート・イムウェ(ドニー・イェン)のフォースへの憧れだけがかろうじて顕在化する程度であり、家柄も血筋も血統の宿命も背負うことのないただの普通な人々が最初は訝しげながらも、それぞれの私利私欲を捨て結集し、あまりにも広大な帝国軍へ戦いを挑む。この明らかにアメコミ以降のダーティ・ヒーローたちの連帯と、やぶれかぶれな無謀さこそが今作の原動力となる。

 『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』や『スター・トレック BEYOND』などアメリカの超大作同様に、今作も現在のマーケットの本流である中華圏への配慮を忘れていない。『イップ・マン』シリーズのドニー・イェンは、40年前であれば間違いなく座頭の市の勝新太郎が演じるべき役柄だったはずだが、フォースに憧れる盲目の剣士を嬉々として演じている。『鬼が来た!』でカンヌを制した姜文の起用も今作のビッグ・サプライズとなる。R2-D2やC-3POよりもずっとシニカルで現実主義のK-2SOの描写は真っ先に『TED』を想起させ、救世主となるボーディー・ルック(リズ・アーメッド)の描写には『M:i:』シリーズや『スター・トレック』シリーズのサイモン・ペッグを想起せずにはいられない。だがそれ以上に印象的なのは、ヒロインの父親役を演じたゲイレン・アーソ (マッツ・ミケルセン)の苦悩の描写である。科学者としてひときわ優秀だった彼の能力は、やがて銀河系を揺るがす殺戮兵器へと形を変える。このゲイレンの苦悩に私は思わず1954年版の『ゴジラ』の科学者だった芹沢大助(平田昭彦)を重ねずにはいられない。自らが生み出してしまった殺人兵器が、後世の人間を苦しめることになる。監督であるギャレス・エドワーズは今作のゲイレン・アーソのヴィラン描写に、初代ゴジラの芹沢博士と同じくらいの苦悩を重ねている。あまりにも哀愁漂うマッツ・ミケルセンのヴィラン造形、同じくソウ・ゲレラ役のフォレスト・ウィテカーの圧倒的な演技力に比べ、ヒロインであるジン・アーソを演じたフェリシティ・ジョーンズの存在感の希薄さが惜しい。

 クライマックスの南国の楽園風である惑星カスリフとは対照的な戦禍の炎、そこで繰り広げられる壮絶な決戦の描写は『スター・ウォーズ』シリーズを継承するというよりも、真っ先にスピルバーグの『プライベート・ライアン』やコッポラの『地獄の黙示録』、キューブリックの『フル・メタル・ジャケット』を想起せずにはいられない。戦場シーンを最大限に描きながら、監督がそれ以上に意識しているのは、初期2作のカタルシスの再興に他ならない。Xウィング、Yウィングで繰り広げられる空中戦のショットは『エピソード4/新たなる希望』と寸分違わぬ構図を繰り返し、パーティが塹壕に隠れる地上戦と空中戦とを交互に配しながら、シールドを通過する様子は、『エピソード5/帝国の逆襲』そのものである。あのAT-ATのプロトタイプであるAT-ACTもしっかり出て来る。帝国軍兵士に変装し、基地に侵入するヒロインたちの描写もストーム・トルーパーに変装し、侵入した初期2作を彷彿とさせる。幾ら何でも帝国軍の警備が手薄過ぎるきらいはあるが 笑、ギャレン・エドワーズはSFであろうがあくまでアナログ的な動線を繰り返した初期2作の方法論に立ち返る。奈落の底を見つめるクライマックスの高低差のアイデア、フォースを持たざる者たちの連帯と滅びの美学。『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』に比べ、反乱の快楽を力業1本で行う強引さはあるが、ストーム・トルーパーや乗り物、ガジェットなど細部に及ぶSF的アイデアが熱狂的なオールド・ファンには嬉しい。ラスト・シーンまで一瞬足りとも目が離せない本伝を脅かしかねない外伝の誕生である。
netfilms

netfilms