垂直落下式サミング

モヒカン故郷に帰るの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

モヒカン故郷に帰る(2016年製作の映画)
4.7
『滝を見に行く』の沖田修一監督の最新作。
東京で売れないヘビメタバンドのヴォーカルとして活動している松田龍平演じる永吉は、彼女の妊娠を両親に報告しようと離島の実家に帰省する。そこで父の末期癌が発覚し、先の短い父親に家族が何とか孝行しようと空回りする姿を描くコメディ。
私は、いい意味で芝居っぽくない沖田監督作品の会話劇が好きで、物語全体に染み込んだスローリーなユーモアに毎回魅せられてしまう。最新作に最も注目している監督のひとりだ。本作も、静かな作劇の中で描かれる人間の生を見つめ直し、日常の中に潜む映画的な感動を浮き彫りにしていく監督の手腕が冴え渡る。何かエモーショナルな台詞や、鮮烈な場面があるわけでは無いのに、登場人物全員が実像を伴った重層的・多面的な人間として描かれ、一人一人の人生が見えてくるような巧みな人物描写がなされているのだ。主人公を中心に複数の人間模様が展開する『横道世之助』のような、呑気でキュートなキャラクターたちの演技アンサブルによって醸し出される独特の空気感を、本作はジャンル的筋道の通った一本の劇映画の中に上手く落とし込んでいる。
興味深かったのは、柄本明やもたいまさこの演じる団塊世代の両親と、松田龍平&前田敦子の若者カップルとの世代間の隔たりからくるディスコミュニケーション。親子間の舌足らずで居心地の悪い会話が続く。親が強い口調で「働け!」と言えば息子は「はいはい」と適当な返事をして、「仕事は?」と聞けば「まぁぼちぼち」と口ごもる。私自身も帰省する度に父から「ぼちぼち何やってんだ!?」と全く同じ事を言われたことがあるので、この柄本明の台詞はまるで自分に対して言われているよう。まぁ…私としては実にゾクッとするシーンであります。どんな親子の間にも起こりうる場面だからこそ、そこで描き出されるのは真にリアルな人間の営みであり、観客に伝わってくるのは我々の人生に密接した切迫感。若手役者の演技も素晴らしくて、松田龍平のモラトリアムを引きずりながらボンヤリと生きてきたヒモ男感や、前田敦子の礼儀を知らなくてバカだけど人間の明るい出来た女キャラが非常に素敵ですね。あんな感じでデキ婚するお互いに未成熟なカップルってけっこう多そう。悲劇的な物語なのに、随所に散りばめられた呑気で不謹慎なユーモアにクスリと笑えて、どこか間の抜けた登場人物の言動や振る舞いにイライラしながらも、映画中盤には彼らを愛おしく感じてしまっている。
父親の容態が悪化していく過程も丹念に作り込まれていて、永吉が転倒し唸り声を上げる父を発見する場面に戦慄を禁じ得なかった。静的なワンカットの横移動映像によって、暗い部屋に突っ伏して弱々しくうずくまる父の姿がフレームインする場面が一層ショッキングに映る。永吉が痴呆の父に話を合わせながら海を見つめるシーンは、はじめて父の胸の内を知り咽び泣く彼と同様に胸が張り裂けそうだった。親はいつか死ぬけど、その事を意識しながら生きている若者は少ないと思う。“いつか”じゃなく親は死ぬんだと否応もない現実に向き合わされてしまった。