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バービーのkuuのレビュー・感想・評価

バービー(2023年製作の映画)
3.9
『バービー』
原題 Barbie
映倫区分 G
製作年 2023年。上映時間 114分。
世界中で愛され続けるアメリカのファッションドール『バービー』を、マーゴット・ロビー&ライアン・ゴズリングの共演で実写映画化。
さまざまなバービーたちが暮らす完璧な世界『バービーランド』から人間の世界にやってきたひとりのバービーが、世界の真実に直面しながらも大切なことは何かを見つけていく姿を描く。
グレタ・ガーウィグが監督を務め、ノア・バームバックとガーウィグ監督が共同で脚本を手がける。
バービーは、本物のバービーやバービー・アクティビティ・セットが持つ不格好で不釣り合いなスケールを模倣するため、作中の バービーランドのあらゆるものよりも23%大きい。そのため、バービーは車などが大きすぎたり、ドリームハウスの天井が低すぎたりする。

ピンクに彩られた夢のような世界『バービーランド』。
そこに暮らす住民は、皆が『バービー』であり、皆が『ケン』と呼ばれている。
そんなバービーランドで、オシャレ好きなバービーは、ピュアなボーイフレンドのケンとともに、完璧でハッピーな毎日を過ごしていた。
ところがある日、彼女の身体に異変が起こる。
困った彼女は世界の秘密を知る変わり者のバービーに導かれ、ケンとともに人間の世界へと旅に出る。
しかしロサンゼルスにたどり着いたバービーとケンは人間たちから好奇の目を向けられ、思わぬトラブルに見舞われてしまう。。。

社会全体がますます二極化し、世界中の指導者たちが対話を改善しようと何もしない今日、人々は壊れかけのRADIO(徳永英明すんません)になったよう。
今、映画やテレビ番組のすべてが説教くさいと思われているが、すべてが陰謀ではない。
映画やテレビ番組の核心、特に優れたものは、視点を共有することであり、観客が心を開けば、ストーリーのあらゆる側面を認めることを可能にするものであることを、人々は考える必要があ時代にきてるんちゃうかと思う。
アメリカ合衆国の女優、映画監督、脚本家で当初はマンブルコア映画運動に携わって知名度を上げたグレタ・ガーウィグは、彼女が伝えたメッセージのタイプに対して、実際に正当なストーリーを見つけたように感じる。
ほとんどの批評に反して映画が説教臭かったり偏ったりしているとはキツく思わなかった。
多くのスタジオ・ディレクターが、より多くのおゼニを稼ぐために流行に合わせようとするため、こうした(なぜか)デリケートな社会的トピックが映画に押し込まれがちであることには同意するかな。
今作品は、世界で最も有名な(いや最も有名ではないにせよ)人形のひとつであり、それが世界の文化にどのような影響を与えたか、そして物議を醸すような決定によって女性のイメージに実際にどのような影響を与えたかという歴史的背景を、フィクションでありながら少し語ることができる。
このフィクションのもうひとつの側面は、我々の社会で女性がどのように認識され、どのように扱われているのか、結構、無視しがちな根深い制度的問題や、バービーの筋書きを使って、もし逆の立場だったら、そして女性が最も権力を握っていたら、社会はどうなるのかという楽しく興味深いアナロジーを提供することであると感じる。
しかし、繰り返しになるが、隠された暗い意味はなく、単なる女性の視点であり、色んな理念や信条をもつ国を考えれば現実は大きく変わるとはいえ、考えてみれば、それほどばかげた話ではない。
マーゴット・ロビーはめちゃくちゃ才能があるし、彼女がこの役を演じるのを見るのは楽しみやし、期待に応えてくれる。
バービーの世界に生きるバービーガールとして、マーゴット・ロビーはこの象徴的な人形のステレオタイプなバージョンを演じることに、明らかに楽しんでいた。
この特定のバービーに特筆すべき点がないちゅうことは、彼女がキャラとして最も成長する余地があるということに他ならないかな。
ロビーのバービーは人懐っこく、楽しいことが大好きだが、ボーイフレンドのケンが彼女に何を望んでいるのか知らない。
明らかな悪意はないものの、自分の世界にいる他のすべてのケンに対する態度のせいで、ケンを不用意に感じさせてしまう。
ロビーの演技で良かったのは、彼女がキャラに対してオープンマインドを示すところかな。
彼女は、バービランドの向こう側にどんな世界があるのか、そして物事は彼女が慣れ親しんだものと同じなのか違うのかに好奇心を抱いている。
このバービーを、自立した思考能力を持たない男嫌いのブロンド・ビンボーにするのは簡単やったやろうけど、むしろ彼女は誰に対しても快活であり続け、旅先で新しい経験を学ぼうとしている。
意図的であろうとなかろうと、ライアン・ゴズリング版ケンがスクリーンに映し出されるたびに、映画を実質的に支配していると思う。
ゴズリングがストイックで地味な役柄を演じるのを見慣れているからかもしれないが、このバービーのボーイフレンド版として彼が命を吹き込まれるのを見るのは、かなりの驚きやった。
ゴズリングが喜劇的な役を演じるのはこれが初めてではないが、彼が俳優としてできるユーモラスな可能性を効果的に発揮したのはここである。
ケンがバービーの気を引くためにビーチでサーフィンをしようとするんやけど、その場しのぎの水では泳げないことに気づく。
その後、彼は現実の世界で、自分の性別だけで特定の仕事に応募しようとするが、雇用主に真剣に受け止めてもらうためには適切な資格が必要だと云われる。
ゴズリングがケン役で見せる愛すべき哀愁は、彼がより有名なガールフレンドの一般的なパートナー以上の存在になる方法を見たいと思わせる何かがある。
人形で遊ぶことに一度も興味を示したことのないオッサンの異性愛者の視点から見ると、映画『バービー』は、若い女の子というステレオタイプな観客を超越して、すべての観客にアピールするという奇跡的な仕事をやってのけてたと個人的には思います。
世の中の性別役割分担観を鋭く風刺しつつ、ジョーク満載の愉快なコメディ映画としても機能していたし。
バービーに対する一般的な意見がどうであろうと、バービーを娯楽玩具として愛していようと、バービーが象徴するものに興味がなくて憎んでいようと、この映画はその両面をカバーしている。その点で、この映画は役目を果たしたと云えるかな。
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