ヨーク

バービーのヨークのレビュー・感想・評価

バービー(2023年製作の映画)
4.1
高校生の頃の俺は根拠のない全能感に溢れていて、何にでもなれると思ってたしどんな分野の仕事に就いても大成功を収めるだろうと割と真面目に思っていたので、地方の高校を卒業したら当然のように東京に出るべきだと思っていた。もちろんただ能天気なだけではなくてどこかに将来への不安はあったがそれ以上に広い世界に出て行きたいという願望が遥かに勝っていた。その10代の頃独特の心情と、またそういう無鉄砲で無計画な子供への親の目線とぎくしゃくした関係性も本当によく描かれていてかなりグッとくる映画だった。特に親と一緒に車に乗っているときのあの特に話すことがない感じなんて、何で俺のこと知ってるんだろう、と思ってしまったほどに感情移入してしまった。
というのは本作『バービー』ではなく同作の監督であるグレタ・ガーウィグの処女作『レディ・バード』の感想である。いや、このページは『バービー』の感想文のページで『レディ・バード』は別のページですよ、おじいちゃん…と言われそうだが、そんなことは分かっている。何でいきなり『レディ・バード』の感想を書き始めたのかというと本作『バービー』はそういう映画だったからだとしか言いようがない。また、俺は本作を観た直後のTwitterでは「グレタ・ガーウィグ流石としか言いようがない。レディバードから若草物語を経てバービーまで母娘3部作の堂々完結と言ってもいいのではないだろうか」と呟いている。
何が言いたいのかというとですねこの『バービー』という作品、巷ではバーベンハイマーの悪ふざけに起因する炎上を経て、作品の内容がフェミニズムがどーだの、いや逆に男性にこそ寄り添った作品だのなんだの、社会における男性性や女性性がどーだのと色々な議論を呼んでいるようなのだが俺としてはそんなのを描いた映画では全くなくて、グレタ・ガーウィグがデビュー時からずっと描き続けてきた母娘の物語の結実でしかないということなんですよ。そしてその上で、俺は面白い映画だったと思う。
いやもちろんフェミニズムに関してもそれっぽくは描かれる。女性だろうが男性だろうが社会がその性別に対して「こうあれ」と押し付けたり、その結果として性別によって本来あるべき可能性を奪ってはいけないよね、というようなことはやんわりとは描かれるが、それはあくまでもやんわりとしてだしフェミニズムというには余りにも当たり前のことすぎて新鮮さはまるでない。また本作はケンの扱い方が秀逸だということもよく聞く。確かに面白いとは思う。ケンを通して反転された男性社会を描き出し、行き過ぎたフェミニズムもまた男性優位の社会と同じ歪さを生むのだ、と取ることもできる構造になっているのは一見フェアな描写には見える。だけどケンの反旗というのも当たり障りのない程度の場所に軟着陸させてお茶を濁しているとも言えるだろう。そしてそれをまた反転させるならば結局女性が自分たちの権利を声高に叫ぶ運動に対しても深く切り込んでいるとは言えないだろう。
この『バービー』という映画は万事がそのようなそれっぽい問題の提起を見せながらもその問題の深度を上げて抉り出すような作品ではないのである。本作の根幹の設定であるパーフェクトなバービーワールドと歪なリアルワールドがどのようなバランスで成り立っているのかということも終始曖昧なままでコメディともSFともファンタジーとでも、または他の客がこう観たいと思うような観方ができるような作りになっている。だから本作は実は女性がどう、男性がこうといったようなことを真剣に取り上げた映画ではないんですよ。じゃあ何の映画なのかというと最初に書いたように母と娘の映画です。
ここにきてやっとあらすじを書くが、全てが完ペキなバービーランドで暮らしていたバービーはある日自分が死と老いを実感してその完ペキな世界に綻びを見てしまう。原因を探るとどうもバービーランドとは異なる現実(リアルワールド)でのバービー(人形の玩具として)の持ち主に何か問題があったのではないかということに。じゃあリアルワールドに乗り込んでその問題を解決してやるわい、と息巻いてバービーが現実へと旅立つ、というお話です。
これがどう母娘のお話になるのかというとですね、バービーの現実世界での持ち主というのはマテル社(バービー人形を取り扱う会社)の秘書として働く中年女性なんですよ。んで彼女はその娘との関係が上手く行っていない。実は本作はバービーランドと現実世界との裂け目を修復すると言いながらも、本当はバービーの持ち主である母親と娘の仲と、その母親の人生における理想と現実の折り合いを探り、そこを修復する映画なんですよね。そう考えれば冒頭でまずひと笑いをしてしまう『2001年宇宙の旅』のパロディが挿入されたのかも分かるだろう。あれはバービー側(理想側、と言ってもいいかもしれない)から見た神話的な女性解放のエピソードとして語られるが現実にはそんな上手く行ってるわけがなくて、第二の主人公であるバービーの持ち主の母親が自分の思い通りに育ってくれない娘に対してイラついて母親なんて辞めてしまいたい! と思っている心象風景なのである。
それが紆余曲折を経て(主にかつての憧れだったバービーと行動を共にして)、まぁいっか、何だかんだで娘を生んで、彼女と一緒に生きてきてそれでよかったよ、となるのがこの『バービー』という映画の骨子なのである。当然、それは物語の後半でバービーがその生みの親たるルース・ハンドラーと邂逅するシーンに集約されている。自分が生んだ子でありながら思い通りにはならなかった、でも産んで、一緒に生きてきてよかったということである。俺がこの感想文の最初に『レディ・バード』の感想を書いたのはそういうわけである。『レディ・バード』は10代の少女からの目線で母親を見た映画だったが、今回の『バービー』は母親の目線から娘を見た映画なのである。そして血縁としての親子ではなくともルース・ハンドラーとバービーのような作り話の中での親と子の関係は『ストーリー・オブ・マイライフ』でも使われた入れ子構造だ。その親子という立ち位置の違いとそこから見えるものとの違いを描く視点は『レディ・バード』から変わらないグレタ・ガーウィグのメインテーマであり、本作はその結実とも言っていいのではないだろうかと思う。
なので個人的には凄く面白い映画でしたね。まぁ難を言えば、フェミニズム的な作品だと思われてるように本作は闇鍋的に色んな要素をぶち込み過ぎていて本丸としての母と娘の物語というものが様々な素材に隠されて分かり辛くなっているということはあるかもしれない。ただ、そこもグレタ・ガーウィグ作品を追ってる人なら分かって当然だろうとは思うのだが…。でも世の中はグレタ・ガーウィグを追ってる人ばかりではないからね、もうちょい核心のテーマを分かりやすくしても良かったんじゃない? とは思いますね。
あとメインの役者陣は素晴らしかった。マーゴット・ロビーは言うまでもないがライアン・ゴズリングもいい仕事してたな。このメイン二人(ケンはおまけだが…)は賑やかしとしては本当に最高で、だからこそリアル世界での母娘の地味さが際立って良かったというのもありますね。
あとは人形が人間になるということに関してもお盆に兄夫婦と姪を見ていて、本作はいいとこ突いてるなと思ったけど長くなってきたので割愛。まぁ子供は人形じゃないので、それが成長していくことを親は受け入れなくてはいけないということですよ。そしてそれはそのまんま『レディ・バード』へのセルフ・アンサーでもあろう。
まぁそんな感じで現時点でのグレタ・ガーウィグの集大成として大変面白い映画だったのだが、さすがに母娘の物語はもう十分堪能したぞというのはあるので次回作は全く毛色の違うものを観てみたいというのはありますね。実は『バービー』にはそういう目新しさを期待していたところもあったのだが、そこはちょっと残念ではあった。まぁでも面白かったですよ。フェミニズムがどうとかは知らん。
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