過去と現在と未来は繋がっているのか、或いは在るのは現在だけで過去と未来は存在しないのか…。
ふとした時に自分はこんな疑念を生じることがある。
大人になってから知り合った友人と数ヶ月前の出来事の話はしても、互いに知らない子供時代や学生時代の話は不思議としない。
各年代ごとに経験した若い頃の破茶滅茶なエピソードや出来事は、今より断然面白く遡るほどネタは尽きないはずのに。
隠している訳でも話したくない訳でもないが、わざわざ聞きたくも知りたくもないと言う…。
過去の話をするのは今を生きる自分達には無意味だと言わんばかりに、今の話で花を咲かせ無意識に過去と現在を切り離している。
この映画の主人公が過去のナチス・ホロコーストの研究に執着し探究するのは一体何のためか誰のためか、後ろ向きに歩きながら過去に生きる男。
現代人が過去の歴史を探究することは後ろを向いて歩いているようなものだが、決して後ろ向きな気持ちで探るのではなく未来へ繋がる光を見つけなければ無意味と言えよう。
現実はそうはなっておらず現代の価値観や世論観で過去を戒めるばかりで、真実を見失い主観による思想で空白を空想で埋めてしまう歴史観ばかり。
事実だけを探究しても真実は見つからず、被害者と加害者の溝が埋まることは決してない。
生きるだけが人生ではないが365日24時間深まる溝にハマっている訳にはいかず、人間として生きる選択をしたならば日常生活の中で恋もすればセックスもする。
被害者が加害者と成り加害者が被害者と成る現実世界に生きる子供たちに、大人たちは一体何ができると言うのだろう。
ナチス・ホロコーストと言うシリアスなテーマを扱いながらラブコメテイストで描くのは悪くはないが、焦点がボケてしまい中途半端に思え残念ながら自分は全く入り込めなかった。
〝アデル・エネル〟と犬の〝ガンジー〟に各0.75点を..★,