レオピン

赤い波止場のレオピンのレビュー・感想・評価

赤い波止場(1958年製作の映画)
4.1
俺がこうやって生きてるのもハジキのおかげさ
そうそうじゃけんにはできねえよ

三枝さん目当てで観てみたら完全に裕次郎にやられた。
寸分のぜい肉のない腹 あの足の長さ 眼福

裕次郎の不良役は珍しくないが、本職の役というと稀だ。孤児出身で裏稼業しか知らない男。今は神戸に食客として世話になっている身、羽振りよさげに見えても心は空虚。高台の港の見えるベランダから遠く海を見つめている。何をやってもつまらない もう飽きた 

港町特有の倦怠感に包まれた雰囲気だがどこかしまりがある。第一に出てくる人物の服装がみんなキマッている。野呂刑事なんかバケットハットにニットタイという、刑事らしからぬ洒落男。時折見せる濃密な表情。マミーの心情を察し、二郎を裏切らせないようにと気を配る。感情の機微に敏感な刑事。またしても大坂志郎が光る。

二郎を取り囲む人間たちには表と裏の顔があった。人を見抜く力のある人たちばかり。
ホテルの女主人、轟由紀子のママはずっとラジオで野球中継に耳を傾けているが、ホントはきっちり聞こえている。いかんよ素人の子は 

忘れられないのは、舎弟のチコ(岡田)と不敵な笑みの殺し屋土田(土方)の貯水池横での撃ち合い。真横からとらえたショット。香港ノワールを切り開いた呉宇森は、若き頃日活作品を観まくったそうだが、特にここのシーンは直撃したのだろう。そういや、二郎の着こなした真っ白のスーツとサングラスはしっかりティ・ロンのスタイルに受け継がれている。

しかし、この時代の裕次郎にはどこの国の映画だってかなわない。屋上で歌を歌えば、道行く人みんなが足をとめその歌声に耳をやる。天性のスターとしか言いようがない。

早く足を洗って海の向こうに行きたい 違う世界で生きたいと願っていた。好きな人を目の前にしながら身を引く。これが彼のやり方。カリートの道ならぬ二郎の道

笛や琴など楽器で心情を伝える場面というのは、古今東西の物語にあるが、なんともいえない古典文学のような味わいのあるラスト。

港好きの自分には、裕次郎作品でもかなり上位にくる。香港行きの船には乗れなかったが、映画史的にはこの映画の種は仏から巡り巡ってかの地で芽吹いた。そう考えると面白い。


⇒撮影:姫田真佐久

⇒ジュリアン・デュヴィヴィエ 『望郷』(‘37)
レオピン

レオピン