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ジョーカーのJTのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.5
いつの時代でも狂人が全てを覆す
社会も常識も善悪でさえ塗り替える
この映画は革命であり高らかな世代交代だ

『タクシードライバー』でトラヴィスは言う「人生に終わりはない 必要なのはきっかけだ」
『キング・オブ・コメディ』でパプキンは言う「どん底で終わるより一夜の王になりたい」
そして今作の主人公アーサーは日記にこう綴る「これ以上の人生より"硬貨"な(価値のある)死を」
アメリカンニューシネマの時代から報われない者たちは様々な引き金を引きその存在を社会に知らしめた。そんな時代から数十年が経った今、それらを凌駕する新たな引き金が引かれ、現代社会に風穴を開ける。窮地に追いやられ死を望み死を厭わない善人の逆襲。善悪を失くした弱者のアーサーは支配者の宿敵となった。

笑いたくなくても笑いだしてしまう持病を持つアーサーは病気の母と二人で貧しい暮らしを送る。経済格差が広がるゴッサムシティで貧しい人々はいつまでも苦しみ財を持つ政治家たちはどこまでも富む。終には持病の薬の処方を打ち切られ、アーサーの生活がどんどん苦しくなると同時に笑いは激しくなっていく。

壊れていくにつれて止まらなくなる笑い。悲しみを感じるほどにこぼれおちる笑い。孤独を払うために正常を装う愛想笑い。感情と比例しない笑いが不条理を嘲笑う。人は呆れ果てた挙句に思わず笑みを浮かべる。心が気持ちを通り越し知らぬ間に精神は崩れる。制御を失い感情は嘘をつく。怒りを溜めると世界や物事は単純に見えて、下に堕ちるほど生気は煮えたぎり実感を強める。狂気に触れた時に残酷にも世界は輝きだす。悲劇が喜劇に変わり、善と悪は一体化した。

人は病んだ社会の下で仮面を被り役を演じる。アーサーは仮面を外しジョーカーに成り切る。仮面を被るのは都合の良いよう現実から目を逸らすことで、仮面を外すのは全てを受け入れ殻を破ることだ。殻を破った者の魅力とは本能で動いていることにある。それは善と悪だけでは計れない人間の持つ野心。スーパーヒーローは人を救うが、ダークヒーローは人々と社会に問題を提起する。現代社会において必要なのはまず後者である。そして理不尽な世の中で社会的弱者が求めるのは変化。革命とは常識を覆すことでその拍車をかけるのは誰からも信じてもらえなかった人、常人ではない狂った者。社会から害悪とされた者こそ社会の欠落を突く。このジョーカーは今の時代に生まれるべくして生まれた。もちろん殺人を肯定するためでなく、犯罪行為を正当化するためでもない。少なくとも変化を求めている人がいるから、革命を必要とする人がいるから、消えゆく光に対する怒りを持ち続けるために、声なき声に耳を傾けて響きわたらせるために、この狂った世界に抵抗し続けるために誕生した。

二度の鑑賞を終えて一度目にはエンディング含めて全てが悲劇だったが二度目にしてそれは喜劇に変わった。ジョーカーのダンスに心を躍らせる自分がいた。そして辿り着いた答えは全てがジョークだと言うこと。シナトラの"That’s Life"がなんとも大胆にそれを皮肉る。「人生ってこんなもん」利己的な大人たちは嘆く人々に人生は楽しいことばかりじゃないと言う。どん底にいることも悲劇に見舞われることも人生だと。だから開き直る勢いで現実を受け止め喜劇に変えよう。とんだジョークを飛ばす社会にそのままその言葉を返す。弱者として惨めな一生をせいぜい苦しむ代わりに、怒る権利くらいくれ、嘆く権利くらいくれ、悪いジョークのひとつやふたつ言わせてくれよと。アーサーって言う惨めな男の物語を話してやる。きっと理解できないだろうけど、"それが現実"なのだ。

悲劇で喜劇のシナリオを完成された。狂気は目の前だ。このジョーク(シナリオ)を書き換えるのは我々である。

今作でホアキン・フェニックスが最も好きな俳優になりました。最近のホアキンは大体狂った役が多いのでそこまでの驚きはありませんでしたがそれにしても怪演と言わざるをえないです。ノミネートは確実でしょうがでもやはりホアキンは『ザ・マスター』で選ばれるべきだったとしみじみ思います。デニーロも短い尺ですがジョーカーに引けを取らない存在感。この作品において必要不可欠でした。DCの名を借りているだけだとしてもこう言った類の映画が金獅子賞を取るのは革命的だと思いますし、最近増税されたこの日本でも絶賛されていることには感慨深いものがありますね。

2019 . 95 - 『 Joker 』
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