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とらんぷ譚のヨークのレビュー・感想・評価

とらんぷ譚(1936年製作の映画)
3.9
初のサッシャ・ギトリだったんだけど、いや面白かったですよ。こういう感じかー! と驚いた部分が多かった『とらんぷ譚』でしたね。
しかしサッシャ・ギトリという人は今回初めて観たんだけど何となく名前を聞いたことだけはあった気がして、それがどこで聞いたのかはよく分からないけど多分どっかの美術館の企画展のキャプションとかかなぁという気はする。本作は上映後に20分程度のトークショーがあったんだけど、そのトークショーで「ギトリは1900年代前半のパリの社交界で名を馳せた人物で、かのオーギュスト・ルノワールの創作風景を撮影したりしてた」って話を聞いて、俺が名前を見たならその辺かなぁと思ったんですよね。そこの繫がりが意外というか、何となくだけど印象派の後期くらいと映像作品というのをあんまり結び付けて考えたことがなかったから新鮮な感じはしましたね。んで、さらに言うと本作『とらんぷ譚』は1936年の作品で、トーキー映画が普及してまだ10年は経たないくらいの時期の作品だけど、すでにかなり映画的な技法が洗練されている、と思う。思う、と曖昧な言い方に留めておいたのは俺に断言できるだけの知識がないからだが、本作の特徴的な部分として作品の語り口の大部分がナレーションになっているというのがあって、これは映像作品の切り口としては当時では結構斬新なものだったのではないだろうかと思うんですよね。しかも本作は主人公の回顧録的な自分語りがメインなのである。
小説ならば一人称の自分語り的な文法はメジャーもメジャー、ドメジャーと言ってもいい語り口だがカメラを通した映像でしかものを語れない映画に於いてはそれなりに見せるためのテクニックが必要だったのではないだろうかと思う。また、ギトリがどういう意図で本作を一人称的語りにしたのかはよく知らないが、そうすることによる映画の虚構性が演出としてのレベルで一段と増したのではないかと思う。
とりあえずお話は家族を失って孤児になった子供がペテン師として生きていく半生を描いた映画、というあらすじですね。タイトルにもあるトランプという要素は主人公がイカサマも辞さないギャンブラーになっていくということに由来するのだろう。そこのギャンブルというテーマのチョイスも良かったな。
俺はギャンブルはほとんどしないんだけど、好きかどうかでいえばめっちゃ好きで、その好きな理由というのは突き詰めると勝ち負けに絶対がないからなんですよね。もちろん麻雀とかポーカーとか確率に基づく定石があってそれに精通している者は上級者と言われるようなギャンブルはたくさんあるのだが、ぶっちゃけどんなギャンブルも根本は運なんですよね。少なくとも一発勝負では。あとはあれだな、ハッタリ。競馬やパチンコでは意味がないが対人のギャンブルではハッタリが定石や効率なんかよりもよっぽど重要になるときがある。本作もそういう映画だなぁと思いましたね。
まず語り口が主人公の一人称な時点でめちゃくちゃ胡散臭いよな。正直その過去話のどこまでが本当なんだよっていう気はする。でもそれが面白いし、嘘であればあるほど魅せられるという映画の虚構性が際立つようになっている。特に冒頭のエピソードなんてデタラメすぎて笑っちゃうよね。毒キノコがどうしたこうしたの部分だけど、あのエピソードの荒唐無稽さと噓臭さが本人談で語られるっていうのがもう最高だよな。嘘か本当か分かんないけど面白い。それはまぁ、映画だよな、って思うよ。さらに言うと、その毒キノコのエピソードが完全に本当のことだったとしてもその強運さというのは後のギャンブラーとして生きていくという物語の伏線的な機能さえ果たし、二重の意味での嘘のお話として結実しているのである。
要所要所の細かい演出もいいんだけど、この作品全体としての構成というか設計というのが非常によく出来ていて90年近くも前の映画とは思えないほどに面白かったですね。もちろん、コメディーとしても笑いどころたくさんで楽しい。
面白かったです。
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