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ONODA 一万夜を越えてのmasahitotenmaのレビュー・感想・評価

ONODA 一万夜を越えて(2021年製作の映画)
3.8
太平洋戦争終戦後もフィリピン・ルバング島で徹底交戦し、29年後の1974年に日本に帰還した小野田寛郎旧陸軍少尉。そのジャングルでの日々を描く。
原案はベルナール・サンドロンの著書「ONODA 30 ans seul en guerre」
監督、脚本はアルチュール・アラリ。
原題:(仏): Onoda, 10 000 nuits dans la jungle  (2021)

太平洋戦争末期の1944年12月、日本軍が太平洋の島々から撤退を余儀なくされる中、陸軍少尉の小野田はフィリピンのルバング島に派遣され、飛行場の破壊や後方撹乱などのゲリラ戦に従事する。
派遣前、小野田は陸軍中野学校二俣分校で"秘密戦"の特殊訓練を受け、教官から"玉砕"せず何があっても必ず生き延びるよう教育を受けていた。
飢えや病気などで仲間が死んでいく中、戦争終結(日本の敗戦)を聞かされても信じず、4人だけのジャングルでの過酷な生活と軍務を続けていく…。

~4人のメンバー~
・小野田寛郎(遠藤雄弥←青年期、津田寛治←成年期)
・赤津勇一(井之脇海):1950年、投降。
・島田庄一(カトウシンスケ):妻子あり。1954年、銃撃戦で眉間を撃たれ死亡。
・小塚金七(松浦祐也←青年期、千葉哲也←成年期):1972年、銃撃戦で死亡(映画では弓矢で殺されてる)。

一人だけになった小野田少尉は、1974年、探検家/バックパッカーの鈴木紀夫(仲野太賀)の訪問を機に、谷口義美上官(イッセー尾形)との面談を経て投降する…。

小野田少尉がなぜ終戦後も投降に応じず徹底交戦を続けたか?戦時下での軍人の心理(行動)は平時とどう違うのか?
注目シーンは、谷口上官が小野田に歌を歌わせる場面、
鈴木紀夫が小野田と酔っぱらって(無防備に自分をさらけ出して)話をする場面、
鈴木が谷口を説得する場面…。

小野田寛郎という人物を批判する人もいれば、逆に英雄視する人もいるが、全ては日本が起こした"戦争"に起因する。
日本人監督が撮ったら、右からも左からも批判を受けるが(日本人が撮れないところが日本の"表現の不自由")、フランス人のアルチュール・アラリ監督が感情に流されないで映像化している。
音楽もよい。

映画は、投降後の小野田元少尉については描いていないので、補足しておく。
(NHKの小野田さんとのインタビュー番組なども機会があったらぜひ)
"平和国家"となった日本(のマスコミなど)から「軍人精神の権化」「軍国主義の亡霊」と批判され(戦後の約30年を経験した多くの日本人が、30年間戦争を戦ってきた小野田元少尉の心情を全く理解できなかった)、日本がイヤになり半年後の75年日本を脱出。ブラジルで牧場経営をして成功をおさめる。
日本と関係を絶っていたが、金属バット殺人事件を機に、1984年「小野田自然塾」を主宰。(殺人を起こさない)健全な子どもたちの育成に尽力した。
政治的には、保守系の日本を守る国民会議、日本会議代表委員等を歴任(妻の町枝は2006年日本会議の女性組織・日本女性の会の会長に就任)し、2014年91歳で亡くなっている。
なお、小野田帰国時、小野田がフィリピンで犯した犯罪行為(小野田ら残留兵による略奪・30人ほどの殺人・放火などに苦しめられた島民の被害)について、フェルディナンド・マルコス大統領は恩赦を与えた。一方、日本政府は、反日世論を避けるため、フィリピン側に対し3億円の「見舞金」を拠出する形をとった。小野田個人に対しては見舞金100万円の支出を決定。小野田は拒否したが、渡されたので、靖国神社に寄付している。
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