まず、テーマ以上に監督を務めたシャルロット・ゲンズブールの「映画」であろうとする心意気、映像表現で勝負したいという気概で充分楽しんだ作品。
母であるジェーン・バーキンとの「対話」。
「映画」という形を借り、カメラで撮影するという形を借りることで、母娘の正直な対話を行おうというというのも、実に「ドキュメンタリー」としての本質で王道的な試み。
それが互いに「表現者」であることの、唯一の方法とも言わんばかりの、白熱した緊張感で一気に畳み掛けてくる。
「ドキュメンタリー映画」というのは、事実そのものを映し出す試みというよりは、よりその事実に対して、その事実に「虚構性」を帯びてしまうような瞬間を切り取ること、まさにその「虚構性」によって日常とは違うものを暴き出すことによって成立するところがある。
シャルロットは、恐ろしいほどその点を非常に熟知していてとてもアーティスティック。
そもそもが映画の冒頭に「シャッポを脱ぐ」形でバーキンがシャルロットに「あなたには特別な何かを感じていた」と降参してみせるところから、同じ表現者同士の「腹の探り合い」のようなスリリングさがある。
一方で、シャルロット自身も今や「母」である一面があり、同様に映し出される娘のジョー・アタルとの関係性が相似形として配置される辺りは構成も非常に巧み。
被写体としてのバーキンも、執拗に加齢による容姿の衰えを気にしつつの、それを受け入れ、乗り越え、自然に振る舞おうと奮闘し、カメラの前だからこその「パフォーマンス」で乗り切ろうとする。
しかし、それらのことをない混ぜにした、感情の揺らぎも含めてステージに立てば、恐ろしいほどに全盛期の頃と同じ歌声で維持しているところは感動的。
寄り添いたくても寄り添えない部分。
それでも尚、母親に教えを乞い寄り添いたいという切実さが苦々しいけれど、清々しい映画だった。