ヨーク

君は行く先を知らないのヨークのレビュー・感想・評価

君は行く先を知らない(2021年製作の映画)
3.9
個人的には面白い映画だったし好きな作品でもあるけど、なんというか色々と含みのある映画ではあって、その部分をどう咀嚼するかで結構印象が変わるんじゃないかなと思いますね。ちなみに本作はイラン映画である。わざわざそれを書くということは本作を読み解く上でイラン映画であるということが結構重要であろうと思われるからだが、まぁその辺は後述するとしよう。
とりあえずお話は、夫婦と20歳過ぎの長男、そして年の離れた確か8歳くらいの次男プラス犬一匹が車に乗って旅行(?)か何か知らないがとにかく移動しているというお話です。基本それだけの映画。いやマジで。よくある映画ならどこに向かって旅をしているのかと何故旅をしているのかは冒頭で説明されるのが常だと思うが本作ではその部分がまるっとない。なんせタイトルが『君は行く先を知らない』だ。そのタイトルに偽りなしな映画なのである。
とはいえ本作で車に乗って移動してる4人プラス1匹の行く先を知らないのは8歳くらいの末っ子とスクリーンを見守る観客だけである。あ、一応犬もか。基本的に大人たちは何のためにどこに向かっているのかは知っている。まぁ当然といえば当然だが。ちなみにどこに向かっているかというのは映画が進めば徐々に分かる、というか推測はできるようになってるんだが、なぜそこに向かっているのかというのは最後まで分からなかった…と思う。断言ではなく「と思う」と曖昧な書き方をしているのは俺が例によって冒頭の5~6分くらいを居眠りしてしまったからなんだが、その冒頭で一家が旅をする理由が語られている可能性はある。あるが、でも多分そういうシーンはないんじゃないかな。それも推測だけど多分本作はそんな映画じゃないですよ。
本作は93分というコンパクトなランタイムの作品なんだが、上記したように旅の目的やその理由は明確には明かされない。では代わりに何が描かれるのかというと家族による車の旅ですね。は? と思われるかもしれないが本作の主題はそこなんじゃないかと思う。もちろん、映画の進行に伴い徐々に旅の目的は分かってくると書いたように終盤までくると大抵の客は「そのための旅だったのかぁ」というのは分かるようになっている。だが、これも繰り返しだがなぜその旅をする必要に迫られたのかは描かれない(冒頭で語られてなければ)のだ。ネタバレに配慮して一応旅の目的は伏せておくが、イランという国が舞台の映画であることを考えれば何となく察することはできる。宗教的な問題か政治的な問題か、あるいはそのどちらをも含んだのっぴきならない事情があったのだろうということは分かるのだ。やたら結婚というワードが出てきていたからその相手が同性だったからとかそういうのかもしれない。そしてこれは作中のみならずメタ的な視点も含むが、それを大ぴらにできない、映画の中でさえ語ることができないということはイランの現状に対する沈黙の批判であるという想像もできるだろう。本作にはそういう意図もあるんだろうなという気はする。でも上で書いたように本作で一番描きたかったのはそういう社会的かつ政治的かつ宗教的な問題をあぶり出すこと以上に車で移動する家族というのを描きたかったんじゃないだろうかと思うのだ。
俺は複数人による車の移動が好きでそういう移動の描写がある映画も好きなんだけど、その理由は端的にいうと車という乗り物はほぼ原則的に搭乗者が全員同じ方向を向いて移動するからなんですよね。車に乗る前も降りてからもバラバラに行動するけど、車に乗っているときは同じ方向を向いている。その塩梅がいいんですよ。俺は『スリー・ビルボード』という映画が大好きなんだけど、あの映画は作中で決して分かり合うことのできなかった二人が同じ車に乗って同じ方向を向いたところで終わるのである。きっと車から降りたらまた別々の方向に進んでいくんだろうけど、車の中にいるときだけは同じ方向を見つめている。車ってのはそれがいいんですよ。そして家族で車に乗るってことは多くの人が経験したことがあると思うけど、みんなが同じ話題で盛り上がったりすることはそんなにないと思うんですよね。友達同士ならともかく家族同士だと車内の会話で大盛り上がりなんてことそんなにないでしょう。どんな音楽をかけるかにしたって父親と母親はもちろん、子供世代になると全然違う好みになって揉めたりする。ちなみにウチの親父は谷村新司が大好きで隙あらばベスト盤をかけようとするから当時の俺はかなりうんざりしていた。いや別に谷村新司嫌いじゃないけどさ!
本作はその辺の家族間の微妙な感じが素晴らしい精度で描かれていたと思いますね。親父が退屈そうにキュウリかじってる感じとか、母親の切れ味鋭すぎる愚痴とか、犬のおしっこのために何度も車止めるところとか、単純に家族でお出かけが楽しすぎて終始超絶ハイテンションな弟とか。もちろん各家庭によって温度差のようなものはあるだろうけど、家族で車乗ってるときってこんな感じだよなぁってなる映画なんですよね。そういや高畑勲の『となりの山田くん』でも家族で車に乗ってるシーンがあったけど、なんかまとまりのない感じだったな。この映画の面白さもそういうところだと思いましたね。
だから旅の目的とか理由に言及されないのもそれでいいんだと思う。中盤以降は何も知らない末っ子以外の空気感が徐々に重くなっていくし『君は行く先を知らない』というタイトルの「君」というのもイランという国の行く末そのものを暗示しているのかもしれないけど、車に乗っている間はその親密な空間の中で同じ方向を見て、そこから降りたらそれぞれの世界があるのだという、そういう映画なのだ。その車というものを拡大解釈すれば国になるかもしれない。そういう映画なんだと俺は思いましたね。
全体的にコミカルでフフフと笑えるジョークや皮肉が満載なのも良かったですね。重苦しくはならずにあくまでも軽快なステップでという、それは弟以外のこの一家が意識していたことでもあろう。そこの感情の機微もいい。
まぁ何にせよそこまで構えずに気軽にイランの美しい風景を眺めようかという、それだけでも十分楽しめる映画だったと思いますね。面白かった。
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