活動の記録のために途中参加することになったという制作過程の事情もあり、撮ることで紡がれる関係性はない。
まだ言葉にできないが、タイトルに「ラジオ」と入っていながら一度も「ラジオ」など出てきやしない本作>>続きを読む
カメラポジョンの倫理。母のお墓を抱くかずゑさんの顔を撮りつつ、手前に供えてる花を画角に収めようとポジションを移動させたことに、邪な「意図」はなかったか?夫のお骨と名残惜しそうに別れる際に、その2点を結>>続きを読む
産みの母との今生の別れの切り返し。聞こえてるんだか、見えてるのかも判然としない。当然カメラポジョンによって2人の顔を同時に見ることはできないし、叫ぶ田村亮の声が聞こえているかどうかは、会話のラリーが続>>続きを読む
高峰秀子と原節子が会えたかどうか判然としない。もうひとつ、『嵐の孤児』との重要な相違点は、高峰の目が見えないままである点。
市川猿翁の背後から焚かれるスモークの異常さ。