阪本嘉一好子

Cinema Sabaya(原題)の阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

Cinema Sabaya(原題)(2021年製作の映画)
5.0
強烈で、私の心の中に爆弾が落とされたと言う感じで、頭の中が混乱した。なぜかというと、私はウエストバンクの大学生の男女数人をズームで教えたことがある。日本語を教えたんだが、ウエストバンク自治区というイスラエルに包囲されたパレスチナ人の島に中で生きている大学生の中で、特に、ウェストバンクを出たことがないというモスリムの女学生には71歳の私が育った日本の男社会との共通性があった。それに、その家庭、または社会を飛び出したくても飛び出せない、自分の行動を変えたくても変えられないなど、ジレンマが脳裏に重複して現れて気分が良くなかった。

このレビューで例をいくつか挙げていくつもりだが、中盤から終盤にかけてのマイクロアグレッションや自己主張や正義感や人間の感情の高まりが何度かある。その中で、終盤の即興「寸劇」で自由が満たされず、モスリム社会の環境にある女性の『心の爆発』がある。しかし73歳のモスリムの伝統的な女性の一言一言が根底に流れていて、それが、社会、女性改革のブレーキになっているような気がする。わからない。あくまで感想で、ここまで書いた自分の言葉に自信がない。なぜかというと、これらの女性は自治区の外であるHADERA(テレアビブの北方)で働いているモスリム系の女性がおもである。ユダヤ人の世俗派の女性もいる。信仰が習慣になっているようなパレスチナの女性、また、信仰が深そうな女性。自治区以外のイスラエルに住んでいる女性であっても幅が広いから。

結論として、今置かれた受講生たちの生活は変わらないかもしれないが、この受講生たちの絆や言動や葛藤やアドヴァイスや称賛などがそれぞれに問題意識を与え、将来に役立つように自己啓発的にまたは啓蒙的に作られていて、映画の最後では、それぞれの『夢』が演出されている。十人十色で一言でいうのは難しいが根底には宗教からくる伝統精神を感じる。

まず、この映画を私はドキュメンタリーだと思った。全く何の予備知識もなくこのイスラエルの映画をみたから。最初、The Center for Society Equality at Coexistence Center で、Lubra Abu Hussein がリーダーだと。このクラスを受講する市の職員が登場すると説明するからますますドキュメンタリーという意識が強くなってしまった。それに、Society Equalityだから、イスラエル全体を見てるのかな? Coexistence だから、パレスチナ人とユダヤ人かな?とか疑問はあった。でも、繰り返すが、結局は自己改革だと私は結論づけた。そのチャンスを与えてくれたのがこの映画クラスの講座(workshop)だと思う。


主役で監督役ののロナ(Rona ダナ・イブギ)は
https://filmarks.com/movies/92030/reviews/94417993 知っていた。Jaffa という映画でユダヤ人の彼女がパレスチナ人と恋に落ちて.......という役だったので、このイスラエル俳優に馴染みがあった。ここではハデラHADERA(テレ・アビブの北方)市の市長のアドバイザーだと紹介される。


このあとは、受講生の受けた授業(Workshop) の内容を説明している。誰もがレビューを書いていないし、ストーリーに触れていないので、ここに記す。(登場人物の名前は書いてないが悪しからず)

すぐさま、一人のパレスチナの女性が、受講生はアラブ語が話せるのに、ヘブライ語でなくてもいいんじゃないかと疑問点を。アラブ系のリーダーはヘブライ語が共通だというように伝えるが、(私見:ユダヤ人は自治区以外のパレスチナ人にヘブライ語を強制させているから、)ユダヤ人の監督ロナは意味慎重な目をする。(私見:さすが気づきがある)それから、Sabaya (映画のタイトル)の意味を監督ロナがアラブ語人に聞く。そうすると一人が『あなたの発音でいくと囚人の意味になる。』と言って発音を正し、この意味は『若い女の集まり』だと。ある杖をついている73歳のパレスチナの老人が若い人々を指差して笑う。(私見:この言語に『若い女の人の集まり』があるのもアラブ語らしい)
監督はカメラの使い方を教えて、八人の受講者へのインタビューに入る。(もうしわけないが1)2).....と番号で記す)

トップバッターは
1)73歳のモスリムのエルサレム出身の女性は仕事、年、今ボランティアをしてるかなど話すが、監督が『夢』はと聞くと、『夢? 子供は八人いるし、三人は医者だし、娘二人は弁護士で...皆、Academic の仕事を持っている。夫はナイスだし、家もある.......最後に、神と一緒で幸せだ」と。(私見:夢だよ!と私は思ったが、自分のことより、子供をどう育てたかや夫の方が大切なようだ。イヤイヤ?よく公の場で自己紹介をすると伴侶のことを紹介して、自分のことは二の次になる人によくあう。)
2)ユダヤ人のEtiで、家族のことに触れて、夢はスターになることで、これは小さい頃からの夢で、ステージに立って歌ったりすることが好きだったと。
3)Tawfiqという人で、Kafr Qara(この学校から18kmばかり東北にある)に住んでいて、ガレリア生まれの弁護士で、ボランティアで政治犯の人権問題のアドバイザーをしていると。夢は歌手になりたかったが、両親が弁護士か医者になれと。具体的に社会にインパクトを与えたかったから、弁護士になったと。
4) HADERA(ハデラ市)のエコロジストで、 市のプロジェクトのマネージャーでヨットを持っている。

5)Souadという人。結婚していて35歳で子供が六人いて、Baqa Al-Gharbiyye (Hadera から16キロ東にあるまち。ウエストバンクとの境にある)市で老人介護をしていると。夢は運転免許を取ること。タイミングがよくなく免許を取る機会を失ったと。
他のクラスメートが、あなたの村では女が運転するのはそんなに多くないの?とか、伴侶は受け入れてくれないの?とか質問するが、この女性は『夫は嫉妬するから』と答える。(私はこの意味がわからなかった。なぜ嫉妬?)あるクラスメートが黙っていて免許取っちゃえと。他のクラスメート 1)が伴侶の裏で何もするなと。
6)
7)
8)
と自己紹介をしていく。

次に一人一人にビデオカメラが渡される。そして宿題は家庭を撮影しなさいと監督に言われる。

翌日、それぞれの家庭を見せるわけだが、金持ちそうな家庭も離婚して一人暮らしをして子供がいる家庭もある。エルサレムでも5−6人一緒に狭い部屋に住んでいるんだよと誰かがいう。それぞれ家庭が違うが、裕福そうな家庭は伴侶が中心になっていて、家庭では男に発言権があり、女はvideoに撮る場所を伴侶の指摘する通りに撮ったりする(私見:自分の作品で夫の作品じゃないよ!)。『男は料理するの』という言葉も飛び出てくる。ヨットを持っている女性4)はヨットの中を見せてくれた。ここがトイレ、シャワー、キャビン、コックピットなどと説明して拍手喝采される。Souad5)が一人で住んでるのと聞くがヨットを持っている女性は犬と一緒だと答える。子供は?と。環境生物学者であるから海での生活を楽しんでいる話をするが、Souad5)は海に行くのは嫌い。だって、みんなヒシャブをみるからと。発表した4)の女性が私のところにおいで、誰もみないよと。(周りのことを気にする。パレスチナ自治区に住んでいるわけじゃないから、ヒシャブをつけていることで、興味の対象になる。自治区以外はヒシャブをつけていない人が多いのではないか?外に出ないのかもしれない。 ヨットを持っている4)の女性が一番、蟠りがなく自由に生きている感じがする。)
2)ユダ人のEtiはモスリムの女性はみんながヒシャブをかぶっていると思っていたと。(認識不足なんだが、悪気があって、言ってるわけじゃない。周りにパレスチナの女性はいなくて知らないだけなんだけど)、パレスチナの女性たちは自分たちがイスラエルでは『無視されている』ように感じて、口論になる。(マイクロアグレッションである無自覚な発言が、)かえって、仇になり、しっぺ返しを受ける。
Souad5)が自分の家庭をとったフィルムを見せるわけだが、子供が大喧嘩して親である女性が怒鳴っているショートフイルム。そのほかに、水道の水が流れ続けて溜まっていくショートショートフィルム。ロナ監督は彼女に画像の前に立って、この水が流れているフィルムにストーリーを入れろというが、何も入れたくないと彼女は答える。彼女はこの水が流れるフィルムを見ると思い出すことあるというが、言いたくないという。この女性はそれ以上言えず、席につくが、他のクラスメートがこれに詩をつけたり、パワフルだと言って(具体的に忘れた)コメントをつける。この女性は何かがあって、オープンになれない。何か悲しいことが。
ロナ監督は長期にコースを教えたことがないと言ってたが、(このコースはスポンテニアスであり、セラピーだと気づいた。)それが、次の課題で明確になる。それは、インプロバイズ(即興)の対峙だ。印象に残ったシーンは女性5)は4)を自分の夫として考え、即興で会話劇を作る。5)は時々何も言えなくて、周りからアドバイスされる。例えば、全部吐き出せとか。4)の夫役は攻撃的な発言、例えば、夫は妻を自由に操ることができるとかを繰り返す。5)は伴侶に立ち向かえないが、4)に立ち向かい突き飛ばす。

ロナ監督はこの全ての講義をのシーンを撮影していたようで、批判される。ロナの撮影したフィルムはコースを受けた女性たちの夢を描いたもの?