黄金綺羅タイガー

すずめの戸締まりの黄金綺羅タイガーのレビュー・感想・評価

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
1.2
やー、良くない。
本当に良くない。
劇場で観なくて良かったと心の底から思う。
たぶんもっとブチ切れモードになるところだった。

相変わらず“君と僕との物語”なのも、出会って10分で恋しちゃうアタマゆるゆる系主人公なのも、それは別にいいのです。
新海誠なので。
新海誠にそこを是正することは求めていないし、それこそが彼のリビドーだろうから、こちとらそれは了承済みで観ています。

でもそこに3.11という明確な事象を持ち出すのは本当に良くない。
結局バカなメロドラマの出汁にあの出来事が使われただけみたいに見えて本当に良くない。
別に題材にするなとは言わないけれど、それを題材にするならば、もっとその事柄に真摯に向き合って作るべきだ。
3.11をテーマにして作るなら、いつものアタマゆるゆるな恋愛展開に時間を割いて描くべきではなかった。
今までみたいに唐突にロケット出したり、彼女を宇宙に飛ばしたり、現実に似た架空の世界でのトンデモファンタジーにしたほうが良かった。
この恋愛を主軸にしたままで、どうしても地震のことを描きたかったのならば、直接的な名詞は避けて、それと解らないように暗喩するくらいに止めておくべきだった。
3.11のことをきちんと描くならばもっと家族のことや、震災自体のことに時間を割くべきだろうに、みかん拾いからのなぞの人情シーケンス、子ども面倒を見るやら、飲み屋の手伝いやら、道中での無駄なシーンの多いうえに、大事な家族とのことは分かりやすい感情の吐露をベラベラ言わせて終わりにするわ。
描きかたと時間配分もすこし考えたほうが良い。
それに3.11は過去ではなく、いまだ現在である人たちもいるのだ。
それなのに最後の最後で取ってつけたようにメッセージ性持たせるだけだなんて、テーマにした意味がない。
被災した現実に生きている人たちへの思慮に欠けている。

絵が綺麗とか、アニメーションがいいとか、そんなのは新海誠が上達したのではなく、資本力の話だろう。
良いスタッフが揃えられるようになっただけの話だ。
だから今回はそこについては評価しない。
なぜなら良いスタッフかき集めて、こんな薄っぺらい作品を作ってしまうのは、むしろ日本のアニメーション産業にとってもマイナスかもしれない。
こんなことしているくらいなら、他のもっとこれから伸びていく作家へチャンスを与えるべきだ。

あと、ジブリのおこぼれ貰おうとしているところも本当に良くない。
それが純粋なジブリへのリスペクトならまだしも、そんなことは無さそうなのが余計にどうかと思う。
なんであのタイミングで『ルージュの伝言』かける必要があったのか。
猫と少女のモチーフは『魔女の宅急便』から、ドアとイケメンのモチーフは『ハウルの動く城』からみたいな分かりやすさも浅はか。
(なにかモチーフを使うなら、上手く使えと思う。それをやり遂げたのはキューブリックだろうけれども)

そして、宮崎駿という人は、『もののけ姫』までは観客に向けたエンタメ性と、ストーリーの整合性と、自分の伝えたい思想のバランスはすごく取っていた。
『崖の上のポニョ』あたりから、ストーリーの整合性を放棄し始めて芸術をやり始めたから、個人的にはついていけない部分も多くあったが、そのぶん作品のなかの描くアニメーション表現の部分で挑戦的なことをしたり、エンタメをしっかりやろうとしていたりはしていたし、ストーリーの整合性をある程度放棄したことで、もっと深層心理的な自分でも捉えきれない部分を具現化するという、とても作家性の強いことは続けていたように思う。
しかし本作からはそれが全く感じられない。
それどころか、新海誠というひとの底の浅さみたいなものが露呈したようにさえ感じる。
やっていることは結局、本作はいままで新海誠がやってきたことの角度を変えた焼き直しでしかないではないか。
それに世の中ってこうだよね、みたいなところどころ描かれる表現もあるが、それも当たり前のことというか、そこになにかを考えさせられるような思想が載っているわけでもない。
なんか、宮崎駿とか、トリアーとか、大作家と言われるようになってもいつまでも鋭いものを作り続けられる人って、どこかでいつも孤独でどこか世の中に対して苦痛に思っていることがあるんだろうなと思う。
残念ながら本作にはそれが全くない。

新海誠というひとの作品は鬱屈した童貞的な頑なさと、その童貞的なまだ見ぬ世界へキラキラとした純粋な眼差しを向けて、理想を掲げて作品を作り続ける姿勢みたいなものが魅力だと僕は思っていた。
しかしいまは世間に認められたせいなのか、その渇望のような、以前の作品にはあった、その童貞的な硬質なリビドーが感じられない。
それどころかいまやそれが形を歪め、作品に悪影響を及ぼしているようにさえ感じる。
大学3年にして脱童貞して、女を知ったような気になって語っているイケてない先輩のようにさえ感じられて、すごくイヤだ。
そして最近の新海アニメの恋愛は“君と僕”がハッピーエンドなら他はどうでもいいみたいなエゴイズムがすごいあるような気がして、以前の作品にはあった繊細さがカケラも感じられない。

もし新海誠が儲けのためにこれを作らされているのであれば、本当にそれでいいのかは考えるべきだし、これを本当に作りたいと思って作っているならば、一度自分の作品とはどういうものなのか立ち止まって考えるべきだと思う。
そして、世間的に新海誠を宮崎駿の存在がなくなった後の穴埋めのように、大作家のように祭り上げて、新海誠のつくるものは良いものだとしてしまう風潮についても考え直さないといけないと思う。