肉袋

マイ・ブロークン・マリコの肉袋のレビュー・感想・評価

マイ・ブロークン・マリコ(2022年製作の映画)
3.7
永野芽郁はほんと上手な俳優さんだなぁ〜

現実の女同士の関係性の解像度が高い作品ですね。女同士の絆を完遂できない切なさ、やるせなさ。女性は経験がある人も多いのではないだろうか。
たとえば「お嬢さん」では弱い女同士が、寄り添いあい恋愛として成就し絆が完遂されるけれども、マイブロークンマリコでは、シイノはマリコに置き去りにされる。完遂しない。
マリコのような女に頼られるシイノのような女は、頼られることそのものに頼っているふしがあり、ある種共依存のようになるのだけども、大抵マリコのような女はシイノのような女に自分を一番においてくれといいながら、絶対にシイノを自分の一番には置かない。自分を大切にしてくれる女を捨てて、自分を虐げる男のもとに何度も戻っていく。シイノが大切にしているもの(マリコ)をわざわざ傷つけて叩き壊すマネをするのだ。
どれだけ心を砕いても知らねえクソの元に戻っていく女、そういう女もクソだし、そういう女に献身してしまう女もまたクソしょうもないのだけど、こういうクソのオンパレードが現実には往々にしてある。
「お嬢さん」との違いは、最終的に恋愛関係に至れたかということと、対等な相互扶助関係(共犯関係)にあったかということだ。
女同士の絆は恋愛に及ばない、ということではないだろう。ただ、一方的に守る守られるというのはアンバランスな関係で、そもそも不合理な恋愛関係の中でしか許されないものだということかもしれないし、あるいは本来は対等な弱い者同士が共助し合うという理念こそが「シスターフッド」で、「男が女を守る」家父長制的な理念を無意識に模倣した女同士の関係性では立ち行かなくなるということなのかもしれない。いずれにせよ守る側、守られる側と分断された時点で歪んだ関係を内包してしまうということに相違あるまい。
現実で人間同士が連帯していくというのはこういう複雑な一面がある。

ただね〜この作品、原作の頃から思ってはいたけどシイノは口調が芝居がかりすぎてキツく感じちゃうんだよ〜これは演出上どういう意図なのでしょう…。シイノが粗暴であまり育ちの良くない女で、彼女もおそらく虐げられて育ち生きてきた側のひとだというのは、搾取され続ける女マリコとの連帯において重要な設定であるので、そこを強調したいのか?とも思うのだけど、元ヤン的な育ち・性格・そのような出自の描写としては解像度が低い感があり、女の絆に対する解像度の高さと乖離していて妙に思えます。
肉袋

肉袋