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ブラウン・バニーのkuuのレビュー・感想・評価

ブラウン・バニー(2003年製作の映画)
3.5
『ブラウン・バニー』
原題The Brown Bunny.
製作年2003年。上映時間90分。

ヴィンセント・ギャロが脚本、撮影も含めてほとんどすべてを担当、03年のカンヌ国際映画祭に出品されて激しい論争を巻き起こした話題作。
全米公開版。

バイクレースで各地を巡業するレーサーのバド・クレイ。
ニューハンプシャーでのレースを終えた彼は、黒いバンに自分のマシンを積み、次のレース開催地であるカリフォルニアへ向かう。
その道中である日、かつての恋人デイジーの母が住む家に立ち寄るバド。
そこでは、デイジーとの幸せな思い出の象徴だった茶色い子ウサギが今も変わらぬ姿で飼われていた。
動揺しながらも再びアメリカ横断の旅に出たバドは、それぞれ花の名を持つ女と出会っては立ち去ることを繰り返す。やがて、デイジーと一緒に暮らしていたロスの小さな家に辿り着くのだが。。。

喪失感、後悔、
憧れ、悲しみ、
孤独、罪悪感
による痛みへの対処法としての内面の麻痺、
接触への憧れ、
コミュニケーション不能などを探る中で、
今作品の脚本・監督・主演・撮影・編集のヴィンセント・ギャロは、確実に自分の主張を通してる。
ギャロは、静かで耐え難い絶望のムードを作り出すのに適切な方法を見つけたのだと思う。
今作品を視聴して、18世紀のフランスの詩人、ポール・マリー・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine, )の詩の一節
『私は自分の悲しみに同伴して歩いた』
が頭に浮かんだ。
余談ながら、彼の詩の特徴は音楽性にある。
フランス語の特性を最大限に生かし、脈打つリズムのうちからメロディが響いてくるような錯覚さえ抱かせる。
そのためドビュッシーの『月の光』をはじめ、音楽作品にもインスピレーションを与えた。

ニューハンプシャーからカリフォルニアまで、アメリカ横断の長い旅に、悲しみはバドのバンの助手席に乗り、付き添ったのだ。
二人は多くを語り合ったが、その会話は言葉を失った。
だからこそ、作中では沈黙が多く、バドの顔や目のショットばかりが映し出される。
多くの視聴者と批評家は、バド・クレイ(ギャロ)と彼の片思いの相手であるデイジー(クロエ・セヴィニー)の悪名高い露骨なオーラルセックスのシーンにコメントで触れています。
今作品を全く価値のないものとして切り捨てた人々は、このシーンがなければ、誰もわざわざ『ブラウン・バニー』を観ようとは思わないだろうなんて云う。
せや、今作品の文脈からすると、何よりも邪魔かもしれないし、それでいて悲しい2分間の生々しいセックスがなくても、小生は、この映画を気に入っていたと思います。
ヴィンセント・ギャロの映画を嫌い、憎んでいる批評家の意見には敬意を表するけど、小生は、この映画を興味深く、説得力があり、満足のいくものだと感じました。
 
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