もう50年くらい昔の話し…
実家の近所に香椎宮という由緒あるお宮があってその前に大きな池があった。
夏休み…小学生のおれは毎日のようにこの池に通ってザリガニ釣りをやった。
ポケットには台所からくすねてきたイリコ…タコ糸に結びつけその辺で拾った枝を竿にしてその池に垂らすとしばらくしてザリガニが釣れる。
ここからが本番…今思えばなんでそんな残酷な事ができたのか…昭和のガキの遊びは野蛮だった。(笑)その釣れたザリガニを「ゴメン」と謝りながら頭と胴体を二つに千切る…頭の方は池に投げ込み尻尾の方の皮をエビと同じ要領で剥く。
ピンク色のプリプリしたそのザリガニの尻尾の身をタコ糸に結びつけて再び池へ…
入れ食いである。なぜザリガニが仲間の肉が大好きなのかわからないが面白いように釣れた。
持ってきた水色のプラスチックのバケツはすぐに底が見えなくなるくらいザリガニで一杯になった。
「何してるの?」
不意に女の子の声が背後から聞こえておれは仰天した。
振り向くと同級生のヒトミちゃんが立っていた。
お分かりだろうが当時おれはこのヒトミちゃんに恋をしていたんだ(笑)
なんでこんなとこにヒトミちゃんが?おれは天にも昇るような嬉しさをお首にも出さず…
「ザリガニ…釣ってんだ」ぶっきらぼうに答えた。
「ザリガニ…」
ヒトミちゃんは近づいてくるとパンツが見えないようにスカートを膝に被せるようにしてバケツの脇にしゃがみ込み…ガシャガシャ動き回るザリガニの背中を指でツンツンとつついた…
「挟まれろ!」
おれは念じた…
あのでかいハサミに挟まれてヒトミちゃんは泣くだろう…そうしたらこの僕が優しく慰めて…なんならザリガニには毒があるんだとか嘘ついてその指を舐めてあげてもいい…
当時のおれは今のおれより遥かに変態だった…なんてけしからん妄想だ?
その時バケツの中から「ギーギー」とザリガニの鳴く声が聞こえたのだ!
「あ!鳴いた!ザリガニって鳴くんやね」
「うん…鳴くよ」
実は知ったかぶりでザリガニが鳴くのを聞いたのはおれもその時が初めてだった。
ヒトミちゃんがおれを見上げた。
「死にたくないって言ってるみたい」
早くレビューしろよ!って話しですよね…(笑)
「ザリガニの鳴くところ」
気が進まないな〜(笑)
原作がベストセラー(未読)…予告編の面白そうな事この上ない…たちが悪いですよ…
おれも飛びつきました。
面白かったですよ…観てる間は…でも観終わった後何かしら釈然としない…
考えてみたんですよ…この監督…「何がやりたかったのかな?」
この本がアメリカで一番売れた本というのなら多分この映画化は失敗してると思います。
この映画は主に3つの要素から成り立っています。
湿地帯に住む一家族の崩壊から一人取り残された少女の成長と恋…
自然豊かな湿地は少女を育みやがては作家として自立させるまでになるという感動ストーリー。
不可解な殺人事件が起こり彼女に嫌疑がかかる…その謎を追うミステリー要素。
そして彼女の回想シーンと法廷劇…
この三つはもちろん複雑に絡み合っており無関係ではありません…おそらく原作ではこの辺の描き方が完璧なんだろうと思います。
ところが映画ではどの部分もお互いのパートを守るため(映画の面白さをキープするため)中途半端な作りになってしまってると思います。
冒頭の家族の崩壊もあまりにも雑で呆気に取られますが後付けの回想で言い訳が出てくるような作りになってしまってますし、ミステリーと法廷劇に関しては謎と結果を最後まで引っ張るために本来見せなければいけないはずの捜査や供述が省かれていて最後のカタルシスに繋がりません…
そして驚くことに「湿地の女」という差別と戦った彼女と美しい自然豊かな湿地は本当に素晴らしいという雰囲気で終わりそうな映画にそのテーマとは真逆のミステリーの結末が付いているのです!
そしてこの映画の最も罪深いのは主演のデイジー・エドガー・ジョーンズが実に魅力的な女優さんであることに加えて映画のルックが「ウェルメイド」に見える点…湿地の自然や動植物は映画的で本当に美しい。
でもこの監督「下手くそか?」と言いたくなるような作品になってしまってる…とおれは思ってしまいました。
彼女がムール貝を獲って生き延びるところが一番面白かった。(笑)
「死にたくないって言ってるみたい」
「もう釣るのにも飽きたから全部逃して帰ろうと思ってた」
おれはバケツを持ち上げると中身を全部池にぶちまけてカッコつけた。
それから長い参道をヒトミちゃんと肩を並べて帰ったんだ。
大人になってからこの香椎宮に久しぶりに行ってみると池は整備されて綺麗な公園のようになっていてもうザリガニが釣れそうな池ではなくなってた。
ザリガニって鳴くんだよ…