Fitzcarraldo

トリとロキタのFitzcarraldoのネタバレレビュー・内容・結末

トリとロキタ(2022年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

移民問題が津波のごとく大きなうねりとなって世界中を飲み込むことで、なす術もなく人類は破綻に向かっていく気がしてならない。問題が複雑に絡み合い、どの立場どの視点から見ても、寛容は不寛容によって不寛容にならざるをえないのではないか…

だからといって高台に避難して上から見下ろしているだけでいいのか?そんなこと違うのも分かっているのだが、あちら立てればこちらが立たぬ…もうどうしていいのか分からない。

映画という媒体を使い、物語としてその僅かな糸口を見つけようと果敢に挑むダルデンヌ兄弟による新作。

ジャン=ピエール兄
「この映画に着手した直接的な理由は、とある記事を読んだことです。その記事では、たくさんの未成年の移民たちが、保護者のいないままヨーロッパにやってきていること、そしてその一部はまったく消息がわからないことなどが書かれていました。彼らは移り住んだ国でビザが取得できないとわかると闇社会に流れ、麻薬の密売や、女の子であれば売春に手を染めてしまうからです。これにはとても衝撃を受けたし、あってはならないことだと感じました。だから、保護者のいない未成年の移民の映画、つまりは『トリとロキタ』を作ろうと思ったのです。と同時に、この映画では主人公であるトリとロキタの友情も1つのテーマだと思っています。トリとロキタの間にある揺るぎない友情は、厳しい逆境に立たされる2人にとっての”安住の地”だと私たちは考えています」(POPEYE)

リュック弟
「ドキュメンタリーを撮ることも可能だったでしょう。しかし、なぜそれを選択しなかったかと言えば、トリとロキタの物語を描きたかったからです。私たちは単に移民の子供たちの”あるケース”を撮りたかったのではなく、他ならぬトリとロキタという人間そのものに光を当てたかった。それはフィクションにしかなし得ないことだと思っているのです。フィクションであるこのストーリーによって、2人は生きた人間として結晶化し、描かれる友情もより豊かなものになると思っています」

この2人が苛酷な環境の中で互いを助け合おうという純粋な気持ちや絆は、友情とも違うし、家族とも違うような…西部戦線の塹壕の中で共に過ごす戦友のような関係に見えてくる。

『そして父になる』で取り違えられた子どもと親が、血縁なのか過ごした時間なのかで葛藤していたが…トリとロキタを見ていると、なんかそんなことすらヌルいなと感じてしまう。

トリとロキタには有無を言わさない何かがある。血縁でもなければ、時間でもない。恐らく…環境なのだろう。自分のいま置かれた環境の中で必死に順応しようと本能で繋がった関係性なのだ。

だからトリとロキタは美しいのか…
2人の関係は不思議とずっと見ていられる。なぜだろう…人間のいやらしい部分を感じないのは…演じた2人が純粋だからか?

トリを演じたパブロ・シルズと、ロキタを演じたジョエリー・ウブンドゥがとにかく素晴らしいのは間違いない。

細かいセリフ回しのニュアンスとかは言葉が通じないから分からないけど、とても演じているとほ思えないほどナチュラルでリアルだった。

ジャン=ピエール兄
「まず、彼らには才能があります。才能がなければ私たちが何をやってもうまくいきません。才能があること、それが第一の条件です。そして、私たちは4〜5週間かけてリハーサルを行います。出演する俳優が全員参加して、すべてのシーンをリハーサルするのです。パブロとジョエリーはリハーサルで出会い、リハーサルを通じて徐々に演じることができる人物になっていきました」

リュック弟
「私たちは身体の動きからリハーサルを始めます。動き回るところだったり、倒れるところだったり、いろんな動作をするシーンからリハーサルを始めることによって、演技をするうえでの不安や緊張感を取り除くのです。そして同じ動作を何度も繰り返し行うことによって、その動作が役者自身のものになり、より自然に動くことができるようになる。そして、役者はより自由に演技をすることができるようになります」

なるほど…そんなに長い期間リハーサルやるんですね…何度も何度もやることで逆に新鮮さは失われてしまうと思うが、それをカバーしてしまうほどの技量があったということが才能ってことね。トリを演じた子は、まだあんな小さいのに…このキャスティングにも所属事務所の大きさによって無駄に忖度してしまう日本のイヤラシイところとかも皆無で安心してしまう。

そういう変な大人の介入がないのも純粋に見える要因だろう。日本映画にはすぐその匂いが充満して画面から漏れ漂ってくる。


ジャン=ピエール兄
「窮地に立たされる2人の友情がどこまで続くのか? という問いに関わっています。この問いをめぐる不安定さ、不完全さがサスペンスを発生させていると思います」

リュック弟
「ふたりの友情を、身体を通じて見せたいと思っていました。たとえば、トリは小さく、痩せていて、すばしっこい。何か問題があったら機転をきかせて、すぐに解決策を見出します。トリが活躍するシーンは、時として冒険映画のようなところもある。いっぽう、ロキタはトリよりも身体が大きく、何か突発的な出来事が起こった時に、それを受け止める力がある。ふたりは対照的な存在ですが、友情は最後まで貫かれます。ロキタが大麻の栽培所に閉じ込められた時も、トリは危険を冒して彼女に会いに行きました。そんなトリをロキタは命をかけて守ろうとするのです」

確かに…ただトリが車道を横断するだけで、轢かれるんじゃないかと…子どもならではの危うさにヒヤヒヤして見ていたのだが、これは親心なのか?

トリの小さな身体に似つかわしくない大きめなタイヤの自転車を懸命に立ち漕ぎしてる姿も危なっかしくてヒヤヒヤする。そのスピードで角を曲がったら、人とぶつかるのではないか?駐車したクルマの横を通る時に扉が急に開くんじゃないか?とにかく、もっとスピードを抑えて!と注意したくなる。

フィクションなのに、この先何が起こるかわからない不安定さを演出するのは、意外と難しい気がする。もちろんトリを演じたパブロ・シルズくんのキャラも貢献してるのには違いないが…


軟禁状態のロキのためにトリが絵を渡したいと…すぐ取ってくると猛ダッシュで自転車で駆けるのだが…ただチャリに乗ってるだけでやたらとヒヤヒヤする。

絵を取ってくると、そこへ置いておけと…でも汚したくないから車に置いてもいいかとトリ…

ここで普通ならダメだ、そこに置いておけ!と悪い大人は言いそうなものだけど…ここの売人は、いま主流のダブルワークをしてるため、デザートを作ったり料理の注文が次から次に入ってくるというフリがよく効いている。
だから、カギはそこだ!棚だ!と売人が言うのも自然に見える!

トリは車の後部座席の扉を開けて考える…
そして…助手席のドアを開けて…そちらに絵を置く…その後、助手席の扉を静かに閉めて、後部座席の扉をほんの少し開けておく!

カットが変わると、後部座席にうずくまって全く動かないトリ。車は走っている…

キッチンに戻り鍵を返し、帰ったフリして、さっき開けといた後部座席に隠れたんだな…とすぐ分かるけど…

車の鍵さえ閉めなければ、別に半分開けておく必要はないと思うのだが…ここは過剰な演出だったのでは?…パッとカットが切り替わると、うずくまって隠れているという驚きを見せたかったのだろうから分かりやすくするために、もちろん敢えて狙ってやってるのだろうけど。

まぁ子どもが考えることだから、半分開けておくというのは…これはこれで自然なのかもしれないけど…


無事にロキタのいる大麻製造の基地へ忍び込むことに成功するトリなのだが…この後、一体どうやってトリは家まで帰ったの?お金もないし歩いて帰ったんだよね?
トリからしたは今いる現在地がよく分からないはずなのに…そんなすんなり帰れるのか?ロキタのスマホにはトリのSIMカードを渡したんだよね?トリのスマホは使えないよね?マップも見れないよね?

どういう街の設定にしたのか分からないし、ベルギーの土地勘もないので分からないのだが…クラブもあるような繁華街から、そんなに離れてないところに大麻製造の基地を作ったってこと?なんとなく歩いて帰れるくらいの距離感のところに?

いや…それはないよね。普通に考えたら…
山に囲まれた京都のようなイメージか?中心部から頑張って歩けば、山のほうに行けなくもないという距離感。うん…きっとそうなのだろうな。

でないと…なんか気持ち悪い印象が残ってしまう。カットが変わるともう繁華街に戻ってきてる編集だったので…敢えて省略したのだろうが…なんかスッキリしない。

家まで近っ?!という印象になるのも仕方がない気がする。


さらにトリは大麻製造工場に慣れた感じで侵入する。この辺の感じは可愛らしくもある。

SIMカードがバレて、ロキタもトリも大ピンチに…ここでその辺の棒で、売人の頭を殴るのだが…どう見ても痛そうに見えない。そんなんじゃ気絶しないと思うけど…ここはもう少し説得力が欲しかった。

逃げ出すトリとロキタ。入口の南京錠に鍵を閉めて…ロキタは地面の砂を掴んで、自分の唾を砂に吐きかける。それを鍵穴に埋め込む。

こんな方法があるのか⁈
初めて見た。

ロキタ曰く、ママがパパを入れないようにやってたと…

これが実際にどれくらいの効果があるのか…いざという時の為に知っておきたい。


逃げ出したトリとロキタを必死に探してたはずの組織の若手。たまたま運よくロキタがヒッチハイクをしている…
近付いたらロキタも気付いて逃げ出す。

追う若手。
この状況でエンジン切るか?
エンジンなんか切らないよね?

ロキタを殺した後に車に乗り込む時…
ピッピと音が鳴り鍵が開いた合図…
ん?鍵も閉めてたの?あの状況で?
慌てて追っかける状況で、エンジンも切って、鍵も閉めて…いや、しないよね?

車に乗り込むと、エンジンをかける若手。
やっぱりエンジン切ってたんだね…もしかして今どきの車は自動で切れるのか?鍵も勝手に閉まるのか?

単に記録係のミスか、監督も全く意識してなかったか…そんな気がする…


ロキタへ、トリからお別れの言葉。
これが妙にこざっぱりとして淡白で素晴らしい。お涙頂戴と言わんばかりにダラダラとエピソードトークを長く入れがちな場面で、シンプルにしたのは好判断!

「ビザがおりたらホームヘルパーして…一緒にベルギーで住むはずだったのに。死んじゃった。ひとりぼっちだよ」

文言は正確ではないが、お別れの言葉はそんな感じ。

そして…ロキタへ歌を唄うトリ。

ここで泣いてしまった…。


ジャン=ピエール兄
「トリとロキタが映画のなかで何度も歌っているアフリカの歌は、カメルーン人の友人から教えてもらったものです。ロキタはカメルーンから来たという設定なので、カメルーンの友人に子守唄を2、3曲歌ってもらって、そのなかから選びました。トリとロキタはよく一緒に歌を歌っていて、一緒にいない時も歌を歌うことによって、そこにいない相手のことを思うことができるのです」

リュック弟
「友情がトリとロキタにとっての安住の地なのです。その安住の地に捧げる讃歌として歌を使いました。そういう歌だからこそ、最後にトリはロキタのためにこの子守唄を歌うのです」




ジャン=ピエール兄
「子どもを主人公にした映画を撮るのは、子どもの目を通して世界を見たいからです。彼らの目を通したほうが、世界が今どのようになっているのかがよくわかるのです。彼らが弱者だからこそ世界がよく見える。トリとロキタは、弱者のなかでもさらに弱者です。彼らには移って来た土地に親や頼れる者がいない。トリに関して言えば、生まれた土地でも親がいないのです」
Fitzcarraldo

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