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ミセス・ハリス、パリへ行くのがんがんのレビュー・感想・評価

4.8
プリティウーマン的ファッションムービーを想像して観に行ったら、まさかの哲学的ムービーでした。

マダムがDIORのドレスに惚れ惚れする多幸感満載な姿を楽しむだけでなく、サルトルの「存在と無」をもうひとつの主題として描いていた多層的な作品になっていました。

いくつになっても自由なファッションをしていいんだよ的映画を期待して行ったら、さらにその先を超越してて…これまた2022年🦺級でした。

お伽話という体裁のドレスを着た哲学的作品で大変好みの映画でした。



ロンドンに住むハリス夫人は家事代行の仕事をしている。まるで透明人間のように、合鍵を持って富裕層たちの家に入り掃除をする。夫人の家は半地下のようなアパートで、戦争が終わっても帰ってこない夫を待っている。

あるきっかけをもとにパリへ向かいDIORのオートクチュールを買う旅に出る。パリでは労働者のストライキが行われており、街中でゴミが道路に溢れている。労働者層という富裕層からすると透明だった存在が、ゴミという存在によって街の中で可視化されている。そのゴミの山も片付けるわけでもなく、そのままにして避けて通りを歩いているのは高級な服を着ている富裕層というところに皮肉なユーモアを感じました。

DIORのドレスを着ることができるのは大金を払った者だからなのか。品位をまとい高潔な存在だからDIORを着ることができるのか。

サルトルの事実存在と本質存在という哲学的概念を元にたくさんのメッセージが投げかけられる。DIORのモデルであるナターシャは美人だから求愛されるのか?顧客は貴族の階級に生まれてきたからDIORを買うことができるのか?DIORは限定的プレミアが付与されているハイブランドだから世に求められるのか?

これは上流階級と下流階級のお話であり、最後にハリス夫人が背中を押したあるひとつのアイデアがその階層の間にある見えない壁に対して革命を起こす。つまり可視な存在と不可視な存在への問題提起である。労働者階級からのストライキであり、DIOR自身の本質的価値を自問自答させる行動である。

という難しい問題をお伽話というドレスを着せて煌びやかに紡いだ、とても優しくも誇りに満ち満ちたあたたかな作品でした。



カレさんが最後のあのシーンでアレにひとふり香水を振りかけるところに、一流デザイナーとしての矜持を感じました。まるで産まれたてのあたたかい赤ちゃんを包むような、あの一連シーンは本当に素晴らしかった。オートクチュールに対しての優しさと誇りに包まれていて良かった。



会計士のキャラクターがイブ・サンローランに似ていたので調べてみたらやはりインスピレーションを得ていたとのこと。20才くらいの時にクリスチャン・ディオールが亡くなり、そこからイブ・サンローランはDIORのトップデザイナーになったようでこの辺りの史実へのリスペクトも良かった。ハリス夫人とのローマの休日オマージュもすごく良かった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7fc0bb33b9f4422cd1b1d79ab8690f888e23bbb3



本編開始直前でDIORのCMが流れてました。エリザベス・デビッキの神々しさを堪能してからの本編スタートとか本当に最高の流れでした。
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