かなみ

野いちごのかなみのレビュー・感想・評価

野いちご(1957年製作の映画)
4.1
老齢の絶望と失意の物語かと思いきや、豊かで素朴で普遍的な人間への柔らかい眼差しからなるやるせない人生への賛歌である。
本当に素晴らしい映画は1秒たりとも無駄が無い。既にベルイマン映画の白黒の画面づくりはこの時点で卓越している。吸い込まれるようなおぞましい黒と、魂を撫でつけられるような恐ろしい白。木々のざわめきや影の静けさ、肌の生暖かさまでもが伝わってくる。人肌のざらつきや、瞳のグロテスクさはペルソナ同様の静けさと、"ありのまま"感。人の顔をじっとりと観察させられ、その空虚さを覗かせるような、ベルイマンの人を撮る圧倒的な執着と手腕。

老齢の人間の持つ弱々しさとグロテスクさを客観的に鑑賞者に印象付け、物語は彼の個人的で深く内的な部分を描写しているというコントラストはおぞましい。

まず有名な冒頭の悪夢のシーン。日は高く、まるで砂漠のような静けさに満たされた街の緊迫感は凄まじい。心臓の鼓動を思わせる時計の脈動からなる焦燥感。あっけなく倒れ溶けゆく人間には、誰1人として彼の中に明確な人間がいないという孤独感が見られる。真っ黒な馬車が電灯に引っかかりながらも前に進み大きな軋みを上げて壊れるさまはとてもシュールだ。
鏡を用いた尋問からはじまる夢。ルネ・マグリットの『光の帝国』を思わせるような家の描写には、悪夢と郷愁の不安定なバランスが感じられる。観客のように窓から事の顛末を眺む。流れるような試験のシークエンスでは、既に失われた記憶からの恐怖心とアイデンティティの喪失、それによる他者からの嘲笑の恐怖が残酷なまでにシニカルに描写される。死んでいると診断した患者が瞳を開き嘲笑うシーンの、若く瑞々しい女性と、恐怖におののきながら光から遠のく老人のみっともない姿の対比。

生を謳歌する3人の若者、喧嘩が止まぬ夫婦、自分自身の見えない外側を非難する息子の妻、彼らによって自分の人生を鑑みる旅になる。
そして、鬱屈とした男は周りにも目を向けはじめる。そうして他者に優しさを向けて共生を試みるも失敗する。恐らくこれまでの彼の人生とさして変わらないやりとり。死という劇的な結末が用意されることはなく、自分を慰めるノスタルジーに吸い込まれる。悪夢とは打って変わってどこまでも美しく、優しいそれは、鑑賞者にのみその地を這うおぞましさが垣間見えるのである。
かなみ

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