Fitzcarraldo

フェイブルマンズのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

フェイブルマンズ(2022年製作の映画)
3.3
第95回アカデミー賞(2023)7部門ノミネートされるも無冠に終わった映画界の巨人スティーヴン・スピルバーグ監督の半自伝的作品。

スピルバーグとの共同脚本にはタッグ4本目となるトニー・クシュナー。

日本での初週3日の興収は5890万8410円の初登場10位。
まさか同日公開のドラえもんに大敗するとは… ドラえもんは6億超えで堂々1位。

この興行収入ランキングは何とかならんのか?この国は少子高齢化大国ではなかったのか?毎年、出生率の低さを更新しているが…じゃなんで?なんで子どもアニメが圧倒的1位を取ってしまうの?高齢化ちゃうんか?誰が見てんだよ…

子どもと一緒にきっと親が見るだろうから、その分がね増えるのは分かるのだが…
自分の住む国の興収1位がドラえもんというのは…なんか暗い気持ちになる。


さて…フェイブルマンズ。
エブエブとの二本立てで見たので、脳が疲弊してしまって途中またウトウト寝てしまった。目が覚めたら、母方の大伯父であるボリスおじさんを演じたJudd Hirsch(後で調べて判明)が、いつの間に登場していて…キミ誰?となってしまった。

あの人は誰だったんだろう?重要人物?と余計なことを考えているために、物語にもなかなか入っていけない。当然、待ってくれることもなく、私の睡魔に関係なく先へ進む。

さらに鑑賞後、1週間経ってしまったので、
Paul Danoの演技くらいしか印象に残ってない。台詞がそんなにあるわけじゃないのに、とにかく印象深い。

台詞で表現するのではなく、雰囲気だけであの気難しい感じを出すのはハードルが高い気がする。

少年時代のスピルバーグよりも、父親目線で見ていた気がする。

ここのところ映画を見てもすぐ忘れてしまうため、何のために映画を見てるのかわからなくなってくる。フェイブルマンズも大枠しか覚えてないので、あらすじを読んだのと大差ない。それなら見なくてもいいのではないか?なぜ追われるように、強迫観念に駆られて映画を見るのか?純粋に楽しんで映画を見ることはもうできないのではないか?という恐れがある。


本編から考えると、どうでもいいことだが改めてアメリカのプロムというイベントは恐ろしいと感じた。ルッキズム全開のお調子イベントに誰が好き好んで行くのか…

筋肉だけが正義みたいなマッチョ体質なお国柄は日本のアニメ体質に通ずるのかも?


これも本編とはそんなに関係ないのだが…手紙を書くことの大切さを改めて気付かされた。

映画界に入り込む為に何通も何通も映画関係の会社に手紙を送る青年期のサミー。
あるオフィスに呼ばれ、キミの手紙いいねと言われジョン・フォードを紹介される。

なんでもやります!という意気込みは、やはり若いうちにしかないんだなと…我が身を振り返ってもそう思ってしまう。いまその情熱や体力は枯渇している。

フェイブルマンズのラストになり、ようやく業界とのコネクションが生まれ、後に映画の巨人になる男の萌芽を目の当たりにすると、自分も若かりし時に、なぜこの方法を取らなかったのかと非常に悔やまれる。

やりたいやりたいと言ってるだけで何もせず…アイデアも行動力もお金もなく…そのくせ滅多矢鱈に人の批判だけする典型的な鬱陶しい輩の私。これでは月とスッポンである。結果も見ての通り…。

若かりしあの頃に…違う選択をしていれば、映画の巨人となった自分がいるマルチバースな世界があるのかもしれない…お尻に何をブッ刺せばバースジャンプできるか…と完全にエブエブを引きずってしまった。


余談。
スピルバーグの両親は離婚後に互いのパートナーが亡くなり、ヨリを戻したらしい。最後は二人で穏やかに暮らしたとさ…
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