ワンコ

葬送のカーネーションのワンコのレビュー・感想・評価

葬送のカーネーション(2022年製作の映画)
5.0
【記憶と現実と未来と】

余韻も含めて考えさせられる作品だと思う。

「葬送のカーネーション」のフライヤーには、これは寓話だという表現もあったが、僕は少し異なる視点からレビューを書いてみたくなった。

僕たち人類の祖先が文化的な生活を送っていたのかの大きな指標となるのは、壁画などの芸術活動は当たり前だが、もうひとつ重要なものとして埋葬習慣があったか否かがあげられる。

僕たちの直接的な祖先であるホモサピエンスも、現世人類の遺伝子に数%痕跡が残るネアンデルタール人もデニソワ人も、家族や仲間を埋葬した痕跡が残っているのだ。
そして、こうした原始宗教的な埋葬習慣は現代の宗教とは全く関係がなくて、宗教文化的な意味としては最も古い僕たちのDNAに刻まれた記憶なのではないのかと思う。

難民というアイデンティティの喪失感。
亡くなった妻の希望を叶えたい。
ただ、背景に潜む現代宗教の教え。
これは、僕たちに刻まれた原始宗教的なDNAの記憶とは異なり、形骸化された現代宗教の影響が大きいのではないのか。

阻む武力紛争。

(以下ネタバレ)

こうした紛争を中心に何も解決しない形骸化した宗教の教えに対して、リスクを犯してまで故郷に戻ろうとする意味を理解できない孫娘のハリメ。
しかし、寒さを凌ごうと棺をハリメのために使わせる祖父ムサの優しさ。

対比されるムサとハリメ。

大切なのは、埋葬する場所やイスラム教の教えより、ハリメのように優しかった祖母の姿を記憶を辿り描くことが出来ることではないのか、そして、美しいものを美しいと理解しカーネーションを添えることが出来る人の心ではないのか。これが人を文化的な存在たらしめた最も古い人間のDNAに刻まれた記憶の痕跡なのではないのかということだろう。そして、こうしたものが相まって、僕たちに備わっている死者を敬う鎮魂の記憶になっているのではないのか。

しかし、ムサの根っこのところにある優しさに加えて、更に明らかになった妻の希望を大きな理由としていたが、切に帰りたかったのはムサ自身なのだとの示唆。

もしかしたら、ムサは死場所を求めたかったのかもしれない。

対して、これからも生きていかなくてはならないハリメ。

二人の間には超えることが出来ない金網フェンス以上の高さがあるようにも思える。

愛する妻を亡くしたムサの絶望と、アイデンティティ、更に根っこのところにある優しさを理解しなくてはならないと思う一方、大切な命やハリメも含めて多くの人々が安心して過ごせる未来を考えると、なかなか良い答えには辿りつかない。

世界は二項対立だけで答えを導き出すことは出来ないのだ。

「葬送のカーネーション」の物語は淡々と展開するが、ムサとハリメの心情の揺らぎを通じて様々なことを考えさせられる。

やはり、これは寓話などではなくリアリティではないのか。

そんなふうに僕は思う。
ワンコ

ワンコ