阪本嘉一好子

⻘いカフタンの仕立て屋の阪本嘉一好子のネタバレレビュー・内容・結末

⻘いカフタンの仕立て屋(2022年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

マリヤム・トゥザニ(Maryam Touzani)監督の映画はこれで2本目である。伴侶であるナビル・アユチNabil Ayouchも監督だが、彼はここでプロデューサーになっている。二人の新作を私はいつも楽しみにしている。その理由は宗教が生み出す社会の不条理と人間の結びつきが絡み合っているから。不条理というとモスリム社会の批判かと思うかもしれないが,いやそうではなくて、グローバル化の進んで世界が変化して行く中、人間の心が変わらず、人間の生き方が社会の中で受け入れられなくなるハリムのような存在が日陰者のように心の葛藤を余儀なくされるところだ。
それに母親の死が原因で息子であるハリム(Saleh Bakri )がスケープゴートになるところなどはユニバーサルでもある。

モロッコはイスラム社会だがイランやアフガニスタンと比べて、
特にヨーロッパからの観光客が多くマラケシュなどはモスリム教は形骸化しているように思えてならない。心の拠り所である宗教として残るより慣習とした形式として残ることによる人間の生きにくさ。その慣習やならわしという伝統に固執して現状を維持している人々と西洋文化の影響から慣習特に生きにくい慣習をやめていこうとしている人々。それに、ここでは店をおとずれる客の現金な態度。それを捌けないハリム。社会は心がついて行かなくても、自分が動けなくても変わっていく。ミナLubna Azabal の言葉で、Pureな人がハリムなのである。


ここで素晴らしいのは監督の力量。ただ、変化するモロッコをモロッコ文化の中から見てはいない。しかしモロッコ系フランス人の伴侶である監督の影響もあるとは思うが、モロッコの見方は多面的である。モロッコに息吹を吹き込んでいるのかもしれない。それに、ナビル・アユチ監督の従来の直接的なアプローチでは観客受けがうまくいかないのかわからないが、RAZZIA(2017年)で主役を演じているマリヤム・トゥザニはまるで、フェミミストの部分を軽く抑えてこの映画を作ったようだ。でも、ミナは力強くてハリムの父親から受けてしまった心の障害を助けることができた。そして、ハリムに結婚を申し込んだ。ユーセフが本当かいというくらいだから、この社会では稀なんだろう。それに、ミナは命が短い自分を知っているから、自由奔放に生きようとする。例えば、男だけ通うバー、モハに15年間もこの前を通ったけど、足を踏み入れたことがないと言って入りたがる。ハリムはだからどうなんだとまるで、男女と別れていて、バーは男だけの世界に疑問を持たない。ミナは理由を言っても無理だとわかるから、ミントティーが飲みたいとかわすだけ。バーに入ると男たちは不思議そうに二人を見るが、ミナはタバコを吸わせてくれと。ハリムは冗談でしょと。ミナはどっちがゴールを入れたのかもわからず、『ゴール!!』って叫ぶ。周りから批判を浴びて、二人は笑っている。大笑いしている。市民警察(?)に捕まった時、警察に謝るハリムになぜ謝るのか聞く。だよね。ミナは男だけの世界に問題意識を持ち、髪も覆わず、挑戦している逞しい女性。ハリムも自分の本当の存在が社会に受け入れられないのを知っている。この二人はアウト・ローで、お互いをよく知っている。

伝統美の素晴らしさを五感を使って感じさせてくれる映画だ。それに伏線となっている箇所が多く、次に何が起こるかのヒントを示唆している映画だ。まず、例えば、サレという海岸に近い車が入れないメディナ(medina )の市街地の2階に住居を構え自然の美を風によって感じさせている。メディナの街並みに石畳。またはモロッコの伝統料理Rfissaの色や香り、 それにミントティーやオレンジ。それにミナLubna Azabal のオレンジに触れる指の動き。またはハリムやユーセフAyoub Missioui [が注意深く触れるカフタンへのこころを込めた愛情も我々に伝わる。その伝統服の賛美もここでしていると思う。ミナの祈りの時の右人差し指の動きは彼女が息を引き取ると、もう動かなくなる。一番切ない感触はハリムがミナの左房の傷口に触れるとき。ミナは自分の死が真近であることを感じていて伴侶に着替えを手伝ってもらう。これは伏線の部分である。五感や指の動きを大切にしている作品で職人の一本木質や匠の技がここで生き残っている。しかし、無口である職人の専門知識は深く饒舌になるが、客は耳を傾けるわけではない。美の中で人間がひとりひとり生きていくという今流に言えば、『生き方の使者』とでも言えよう。
ミナ『もし、結婚式を祝うなら、これとおんなじカフタンドレスが欲しかった」と。この映画はカフタンを伝統継承できただけでなく、
ミナは夫に対する愛の継承をユーセフに。愛する夫を一人で置いていくから、まるでユーセフにお願いしているようだ。それが、納棺を二人だけで担ぐところによく出ている。二人はモスリムの伝統に縛られす、生きていく。アッパレ!