安易な感想を拒む重い映画だ。「フランスに最も愛された政治家」というゆるいサブタイトルが吹っ飛んでしまうほどの強度を持つ。この重さ・強さの原因は、彼女の人生を決定づけ、PTSD的な症状を引き起こし、生涯にわたって彼女を苦しめ続けたアウシュヴィッツの記憶が物語の中心に据えられているからだ。
ホロコースト・サバイバーのシモーヌ・ヴェイユの態度は気持ちいいくらい一貫している。虐げられた人々に対しては、どこまでも共感と深い愛情をもって包み込み、虐げる側の人々、それを擁護する人々に対しては、対決姿勢を前面に出して、どれだけ強烈に反発されようが、びくともしない芯の強さを併せ持つ。
保守的な男たちの反対を押し切って、フランスでヴェイユ法（人工妊娠中絶の合法化）を成立させ、弱い立場にいた女性たちを望まない妊娠から解放したシモーヌ・ヴェイユは治安判事時代、収容者の人権をないがしろにしてきた国内刑務所の改革に着手、アルジェリア独立を阻止するための仏領アルジェリアの刑務所（それは強制収容所を思わせる）に対しても、「フランスまでナチスと同じ過ちを犯すのか」と迫って、事態を動かした。
シモーヌの代名詞ともいえる女性初の欧州議会議長というポジションは、同時に、欧州議会議員がはじめて直接選挙で選ばれた直後に選出された議長であり、はじめて「欧州人の民意」を体現した存在でもあった。そのはじめて尽くしの議長にシモーヌが選ばれたのは、彼女が「欧州の統一＝多様な人種・民族・宗教の共存」を体現する存在だったからだろう。
ユダヤ人なのに宗教的原理主義とは一線を画し、世俗主義を愛して「自分はフランス共和政を信じる」と公言してやまない愛国者なのに、当のフランス人からは「ユダヤ人」と蔑まれ、保守的なキリスト教徒からは「どれだけ赤ん坊の命を奪ったと思ってるのか」と非難される。だが、「私が戦中に向かい合っていたのはナチスの親衛隊だ。あんたたちの脅しなんか、怖くもなんともない！」と突っぱねる彼女の強さに心がふるえる。
途中からとめどなく涙があふれてきて困ったが、嗚咽の声が漏れそうになったのは、ユーゴスラビア紛争のさなか、民族浄化という名の大虐殺がおこなわれている現実を前にしてもなお、軍事介入に及び腰だったEU加盟国に対して、シモーヌが烈火の如く抗議するシーンだった。いままさにくり広げられている人道危機を止めることなくして、なにが停戦かと。それは、ヨーロッパ中から嫌われて、誰も救いの手を差し伸べてくれなかったユダヤ人の、ホロコースト・サバイバーの魂の叫びではなかったか。
そんなシモーヌの政治姿勢がよくわかるエピソードとして、Wikipediaに載っていたこの話を紹介したい。彼女にとってのナチスは、不特定多数の国民の中に埋没してしまうような「漠然とした恐怖」でもなければ、「普通の人々の普通の悪意」でもなく、現にそこにある脅威そのものだった。
「彼女はまた、同様の理由で、ハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」という概念について、「こういう悲観主義は嫌いだ。私には安易なごまかしのように思われる。すべての人に罪があると言うのは、誰にも罪はないと言うのと同じだ」と不快感をあらわにしている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/シモーヌ・ヴェイユ_(政治家)
この映画を見て、咀嚼しきれない「何か」を感じた人は、その正体を確かめるためにも、ぜひ、同じホロコースト・サバイバーのプリーモ・レーヴィ『これが人間か』『溺れるものと救われるもの』、ヴィクトール・フランクル『夜と霧』、エディス・エヴァ・イーガー『アウシュヴィッツを生きのびた「もう一人のアンネ・フランク」自伝 』などの著作を手にとってほしい。そこに、自分でうまく言語化できなかった「何か」が見つかるはずだ。それこそ、あなたが求めていたものなのではないだろうか。
人間はどこまでも邪悪になれる。にもかかわらず、人間は人間性を頭から否定され、ほとんどの人間が生き残れない過酷なサバイバル環境下においてなお、どこまでも尊厳に満ちた尊い存在であり、そういう人たちを助け、次世代に希望をつなぐために生かされているのだとわかって、自分は救われた。私がつくる本も、誰かの人生とつながって、「何か」をつかむきっかけになってくれたら、うれしいな。
「排除の論理」を克服しないかぎり、人は何度でも同じ過ちを繰り返す。シモーヌが欧州連合に人類の未来を見たように、多様性を受け入れ、違う人々と共存していく人類の知恵は、教育によって何度も何度も何度も繰り返し刷り込んでいかなければ、すぐに「排除の論理」にとってかわられてしまう脆いものだ。だから私も何度でも言う。多様性バンザイ！
△2023/08/20 ヒューマントラストシネマ有楽町で鑑賞。スコア4.3
