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ゴジラ-1.0のKのネタバレレビュー・内容・結末

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

うーん…監督が三丁目の夕日の人だからなのか
元祖ゴジラ、ゴジラを戦争や核の恐怖のメタファーとして表現しているスタイルを踏襲する三丁目の夕日(ドラマパート)と言った感じ。

ゴジラを見上げるエキストラに何故か橋爪功。
特攻隊がショートカットヘアをなびかせている、ショートカットで叫ぶ「俺の戦争は終わっていないんですっ」は、ターゲットの観客の三親等以内に戦死者が存在しない時代ならではだと感じた。
ショートカットでは始まってもいないのよ…おそらく…

高齢化が叫ばれて久しいが、感性の主導権は確実にそれらの世代にはない事がわかる。

博士吉岡がゴジラを見る時の片眉上げ演技はそれシリアスシーンでもやるんだ…となった
安藤さくらもそれで良いんですかね、本当に?としか…
佐々木蔵之介は…まぁ…変わらないかな。


陸上でのゴジラの破壊シーンは見応えがあった。映画館のスクリーンで観ていたらここはかなり満足度が高いとおもう。自分ならここだけでチケット代の元はとれたと思うだろう。ずっとみていたい。と言うかこれだけで良い。ゴジラが来て2時間東京をぶっ壊して海に帰るだけの映画が観たい。
(典子の脅威の懸垂力については深く考えない事にした)

それに比べると海上戦は微妙。
出航時の映像でかなり期待したが
作戦待ちのゴジラの立ち泳ぎ
インジケーター背びれを目立たせる都合上海面から突出する上半身
フロンボンベ巻き付け作戦の為の接近交差
、停船位置など…

そう言えば核エネルギーを内包するゴジラって物凄い高温なのでは…だとしたらフロンボンベなど使わずとも海中では体表面は沸騰した気泡に包まれている気がする…知らんけど…
ファンタジーだとしても、もう少しディテールに矛盾のない方が没入できたのになぁ

黒い雨、典子生存とアザの謎、
典子があっけなく形も残さず死ぬ、と言うのは当初の原爆のメタファーとして良いと思ったが、なんと生きていた。

壊滅状態の筈の東京、被爆地東京、これから膨大な数の無辜の人々が原爆症に苦しむであろう東京で身寄りのない行き倒れなのに眺めの良いルームランプ付き個室で当時の首相級の優雅な入院をしていて、首には斑?のような物がある。

シン・ゴジラの第五形態の尻尾人間ゴジラへのオマージュなのか、初代ゴジラの芹澤博士へのそれなのか、それとも単なる被曝による死亡フラグなのか…

シンゴジの尻尾人間が既にメタファーなのに、メタファーのオマージュ?かと言って芹澤博士のオキシジェンデストロイヤーを典子が開発できるだろうか

被曝による死亡フラグも、1948年であれば既に広島・長崎の経験が科学者はもちろん市井にも伝播している筈で、ガイガーカウンターを使用したり、黒い雨が降ったなら皆その意味を考えた筈。
ただ破壊されたのではない。
ゴジラに接触した東京も生き残った人も全て被爆している、主人公の被爆は誰よりも深く、死は免れないからの特攻志願かと思ったらパラシュートでフンワフンワだった。

その辺りのパニックやゴジラ制圧志願者の覚悟の描写がないのに、
最後になって唐突に典子あざあり生存からの匂わせ考察パートを差し込むのはマーケ的そろばんを感じて鼻白んだ。


…後情報で典子はゴジラ細胞に感染しておりゴジラ人間になるらしい…ゴジラ細胞に感染???ゴジラ人間?????
監督が明言したとあるが本当だろうか。

ゴジラは水爆実験時の被曝による細胞の変異と異常増殖がその再生能力の根拠の筈だと思うが、ゴジラからの放射線に被曝することで偶々同じ変異を起こしたのならまだしも、「感染」はしない。原爆症と感染という言葉はそのまま被爆者差別に繋がるからまさかね。

では病室の上等さから鑑みてゴジラの細胞移植がなんらかの意図で敢えて行われたとしてもそれは「感染」と呼べるのだろうか。
そもそもそれならゴジラの-1.0では無く、ゴジラvsビオランテの-1.0になってしまう。

監督のイメージする感染の意味や機序は正確にはわからないが、ゴジラを原爆や水爆のメタファーとするのなら安易に「感染」と言う言葉を用いるべきでは無いと思う。

ゴジラがなんらかの感染症罹患の姿で核兵器は関係無いと元々の前提を変えるなら、それもゴジラ−1.0では無く別の物語だと思うが。

感染なのか被曝なのか、移植なのか。

(G細胞「感染」と言う、設定が出てきたので2.5だったスコアを0にしました)

オスカー受賞で欧米は相変わらず日本の「後悔と反省」の匂う物語が好きだなぁと。

クリエイティビリティほシンゴジの方が上手。

音楽は相変わらず好き。
主題から展開していく時にカタルシスがある。
K

K