horahuki

巨人ゴーレムのhorahukiのレビュー・感想・評価

巨人ゴーレム(1920年製作の映画)
3.8
サイレント期を代表する傑作ホラー!

ユダヤ人への圧政に対抗するため、粘土をこねてゴーレムちゃん完成!ゴーレムちゃんの活躍もあり平和的にユダヤ人を守れたのは良いけれど、「もうお前に用はない!」と意志を奪おうとしたら、ゴーレムちゃん激オコ!『大魔神』のような怒り顔になったゴーレムちゃんが大暴れするドイツ表現主義の名作!

監督のヴェゲナーが自前の着ぐるみを被ってゴーレムに扮しているんだけど、なんというか近所のオバチャン感が凄い!腕に鞄をぶら下げて街でお買い物するとこなんて、もうそのもの過ぎて笑っちゃう!🤣16世紀プラハの伝説を元に映画化したヴェゲナーのゴーレム3作目なんだけど、前の2作はフィルムが現存していないらしい…😭

ユダヤ圧政を敷こうとする皇帝(キリスト教)との連絡等々の雑務的なものを担う存在として作られたゴーレムは、最初は召使いとして買い物を手伝い、次にはユダヤとキリスト教サイドの橋渡し的な役割を担いつつも、最終的には人間的な怒りの感情に支配されユダヤ人たちを襲い始める。

16世紀プラハを恐らく第一次対戦後の「不安定」を体現させたかのような現実離れした空間として再現した街並みが素晴らしく、傾きかけた建物に囲まれた街自体が崩壊しかかった現状と今後訪れる戦争への不安を象徴している。『進撃の巨人』かと思ってしまうほどに巨大で、異様なまでに強固な門がユダヤ人ゲットーをキリスト教から隔てており、そこに文化的に相容れない溝が窺え、それは劇中では一切埋まることがない。

それはユダヤ人の過去を嘲笑するかのように大笑いしつつ、都合よく「自分たちを守れ」と命令するキリスト教サイドだけでなく、キリストサイドの青年とLOVEになっちゃった娘に「恥知らず」と怒鳴り、キリストサイドへのそう言った怒りを起点として悪魔との契約→ゴーレム完成の流れを見る限り、本作の根底には互いへの怒りがあり、それは何も解決されないままとなる。そういった水面下に巣食う解決されない不安を来たる戦争への布石として警鐘を鳴らす意図が本作にはあるのだろうと感じた。

本作が反ユダヤ映画(監督のヴェゲナーは後にナチスドイツで映画製作することになる)なのか親ユダヤ映画なのかは議論の的となっているようだけれど、私的に警鐘のための例示として利用しているに過ぎないように思った。

本作はキリスト-ユダヤの二項対立に留まらず、ゴーレムに『フランケンシュタイン』のような人間的人格を与えることでキリスト-ユダヤ-ゴーレムの三者構造とし、ユダヤサイドの加害行為(ゴーレムの命を恣意的に奪う、ゴーレムの犠牲の裏でみんな大歓喜)も強調している。どのサイドにも立たず、普遍的な闇を表面上の安定の裏に隠された崩壊の芽として不安視する意図の方が強いのではと思った。とりあえず『フランケンシュタイン』に色々と激似!😂
horahuki

horahuki