アー君

君たちはどう生きるかのアー君のレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.4
ジブリ作品の劇場鑑賞は記憶が間違っていなければ初めてである。今までの宮崎作品はとりわけ率先して行こうという気にもならず、印象に残っているのはテレビ放送でのナウシカと「さらば愛しきルパンよ」ぐらいである。相性が合わなかったわけではなく、見る機会がなかっただけ。サービスデーの水曜日ということもあり午前中でありながら公開して数日ぐらいだからなのか、ほぼ満員ではあった。

【↓以下はネタバレ↓】












周辺の感想だと賛否両論で難解だという意見もあったが、鑑賞後の印象では複雑には感じなかったし、脱アニメという事も無く、ソツ無くまとまっていたので、逆に肩透かしを食らった感じは少なからずあった。

題名のみ吉野源三郎の小説から引用ではあるが、左派的かつ説教じみた話だと観る前は想像していたが、この抽象的な問いかけは観客に対しての上から目線の問いかけではなく、老境を迎えた宮崎駿の自身の死生観による内面的な自己観察。家族、会社経営を中心に危機感を伝えたかったことであり、良い意味でフェリーニの「8 1/2」のようではあるが、エンターテインメントとしては限りなくほど遠い「壮大な楽屋落ち」のような映像世界であった。

宮崎駿といえばアジアのメビウスという印象はあるが、今回はどちらかというと表(生)と裏(死)の世界感はディズニーの「不思議の国のアリス」寄りであり、意図的に指摘をさせて炎上させるようにふざけて作ったところもみられた。

物語として前半と後半へ向かう大幅な転換ポイントは眞人が自身で石を使って自分の頭を傷つけたシーンからアオサギ(高畑勲?)を狂言回しとして異世界へと入る起点は教科書的に優秀である。しかし行方不明になった義理の母であるナツコを探しに行くくだりには2人の感情に温度がなく少し無理を感じられた。

登場人物には宮崎自身や身内の人格が適当に投影されているが、行き当たりばったり的なところもあり、それほど作者はそこには重きを置いてはいない。

「家内喧嘩は貧乏の種蒔き」

「ゲド戦記」以降、宮崎自身はこの歳になっても息子にどう接すれば良いのか、父親としてなのか? 作家としてなのか? 未だに迷いが垣間見えるのは若々しく痛々しかった。

「同じ血を引くものでしか継ぐことができない」これは大叔父が石の積み木(今までの作品の暗喩)の場面中の言葉だが、仮に大叔父が宮崎駿であれば、眞人は息子吾郎となり強引ではあるが辻褄はあう。(決して父親ではない四親等という距離感。)

夫婦喧嘩は犬も食わないというが、これは親子間の問題。それに私たちはまんまと食わされてしまったが、SOS発信されても困ってしまうところもある。

なぜ宣伝をしなかったのは、ネームバリューからの余裕ではなく、前述したように今までのジブリらしさを適度に切り貼りしながらも、本心では経済的な興行収入を拒否した“私家版”映画であるからだろう。仮に代理店を使った宣伝をおこなっても、封切り後の評価は二分される事は予想されるため、お金を払って頂いた客に申し訳が立たない客観的な謙虚さと強かさを併せ持っている。ゆえに作家としての凄味は認めざるえないだろう。

[イオンシネマ板橋 9:35〜]
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