足拭き猫

目の見えない白鳥さん、アートを見にいくの足拭き猫のレビュー・感想・評価

3.8
目が見えるということはどういうことだろう、を考えさせられるドキュメンタリー。

白鳥さんは自分が盲人だから人と違っているとは思っていない。生まれた時からほぼ見えておらず、祖母からは人より努力しないと将来困ると言われていたらしい。そのことに幼い頃から疑問を持っていた。それだったら「普通」の人は努力しなくていいのか、それはずるいのでは?と。成長するにつれ彼は盲人であることをハンディと思わなくなる。白杖をついて盲人用タイルがない街をスタスタ歩きスーパーで買い物をし、バスに乗って美術館に出かけ職員にガイドをお願いする。初っぱなはそのようなサービスはしていないと言われたそうだが、その後すぐさま対応してくれるようになったとのこと。ちなみに水戸芸術館とかが地元にある模様。

盲人ではない私は「見る」ということを普段からしている。でもそれは本当に見えているんだろうか、目の前のものを「認識」しているだけなのではないか。白鳥さんのように美術館に行って人が描いた作品を見て、でも本当にそれを見た、ということになるんだろうか。
白鳥さんが2人のガイドたちと作品についてあれやこれやと話すのだが、両者の作品についての説明の仕方が違う。特に抽象的なものだとこれはこういうふうな形をしています、何に似ています、二人羽織のようです、猫が丸まっているようにも見えます云々となり、さらにそこに個人の印象や解釈が多彩に入ってくる。そうすると、あれ?私がその作品に持った印象とは違うのですが・・・?あなたにはそう思えるのですか!?とびっくりして果たして本当にそれが自分には見えているのか、懐疑的になってくるのだ。
白鳥さんも仰っているが、見える見えないということが本質なのではない。白鳥さんやガイドの方たちはもっと深く内面のことを考えているのであり、つまりそれが「見る」ということなんじゃないだろうか。
ガイドたちはもともとキュレーターのような仕事をしている方々で説明がとても的確だった。自分だったら彼女らのように伝えることはできないだろう。だからこの映画は他人同士でいかにコミュニケーションをするか、という映画でもある。

昨年チュプキタバタで上映されていたので作品名はすでに何回も聞いており、劇場公開されていたのかと思いきや自分が鑑賞した回が劇場公開プレミアだったらしく、できたてホヤホヤのパンフレットを購入。白鳥さんと三浦大輔共同監督のトークもあった。何よりも白鳥さんが軽やかに人生を過ごしているんだなぁということが舞台上の行動や話から伝わってきて、とても魅力的な人だった。学生さんから人生相談をされるというのも納得した。