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マリアンヌのdm10foreverのレビュー・感想・評価

マリアンヌ(2021年製作の映画)
3.6
【天使の素顔】

MyFFFにて鑑賞できるショートフィルム。

~~ある湖のほとりで起きたバスの転落事故。
偶然近くを通りかかっていたマリアンヌは救急に連絡を取りつつバスの乗客の救助にあたった。
そしてその行動は多くの人から「ヒロイン」として賞賛されたのであった・・・。

この物語は、そのマリアンヌの人となりを直接取材しようと試みた新人記者エロディによるインタビューの模様から始まる。

出だしは当たり障りない質問から始まり、エロディは徐々にマリアンヌの私生活や人物像に迫ろうとするも、当のマリアンヌはなかなか心を開こうとはせず、話をはぐらかしながら中々本心を語ろうとはしない。
そんなマリアンヌに対して明らかに苛立ちを隠せないエロディは「感じがよくない。編集したとしても良いイメージにはならない」と言い切る。

何とか取材協力費の支払の話でその場を取り持つことはできたが、「家に行ってもいいかしら?」というエロディの質問に再び顔を曇らせるマリアンヌ。

-なぜ?
-あなたの世界を撮りたい。興味があるわ。どう?
-・・・もういい、やめましょ。
-どうして?
-まるで素人じゃない。ここにお金も用意してないし、家まで撮らせろって?

「ここが私の世界で、あなたの世界」

マスコミはニュースのネタを見つけると「知る権利」をかざして、執拗に追い回す。
時として、それは闇に逃れようとする悪の尻尾を掴むこともあるかもしれない。
しかし、正しいことをしている人に対しても同じように執拗に追いかけたとき、本当は他人に知られたくないセンシティブな事柄まで暴かれてしまうこともある。

以前観た「リチャードジュエル」の時も似たようなことを感じたが、どんなに正しいことをしていても、他者が色眼鏡を持ってその人物を見始めると、いつの間にか「尊敬の眼差し」は「好奇の視線」へと変わっていき、やがて正しい人が行った正しい行動すらも「自己主張」や「承認欲求」というレッテルにも似た評価に繋がっていく。

でも、本当にその情報は必要なんだろうか?

ジャーナリズムとは「その時のこと」を正確に伝えることが責務であって、その出来事に関係のない「当事者の信条やプライベート」まで白日の下に晒すことは、範疇外どころかむしろやってはいけないことではないのだろうか?

そうやって発行部数や閲覧数を増やすために、事件事故と関係のない事まで記事にしてしまうことは、単なる「有閑マダムのゴシップ話」と同じレベルではないのか?

『ここが私の世界で、あなたの世界』

それは、この「湖での一件」だけがマリアンヌとエロディの繋がりであり、なぜそこだけをキチンと取材しないのか?というマリアンヌの苛立ちと、知らぬ間に「知る権利」というメディア側の暴力的な武器を振りかざして、「つかぬまのヒロイン」の薄皮を一枚一枚剥がしていっているという事に気がついていないエロディとのすれ違い。
それをはっきりさせるために「ここで話すのもここで聞くのも、全てはここで起きた話だけ」とマリアンヌに言わせてしまったのはエロディの未熟さだったのかもしれない。


実際、マリアンヌはお金に困っていたのでしょう。
取材費に固執するのも、バーで何気なくご馳走されたサンドイッチも一度は拒否しながらも(やっぱり・・・)と受け入れて食べたのも、家を撮影されたくなかったのも恐らくそういう理由からだったと思う。

≪ヒーローやヒロインはみんなの憧れ≫

でも、現実はそんなに甘くはないし、あの時だって実は思っていたような救助活動が出来たわけでもなかった。
それでも「行動した彼女」を人々はヒロインと称えた。
でも、持ち上げられれば持ち上げられるほど彼女を苦しめる現実とのギャップ・・・。

仮に人に言えないような趣味を持っていたりや低水準な生活を送っているということまでがメディアで報じられたら、彼女の「善行」まで色眼鏡で見られてしまうかもしれない。
それは本当に正しい結末なのだろうか・・・。


真実は真実として。
時としてメディアには「報道しなくても良い真実」があるということなのかもしれない。
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