dm10forever

パロマのdm10foreverのレビュー・感想・評価

パロマ(2022年製作の映画)
3.8
【旅は道連れ世は情け】

MyFFF駆け込み鑑賞の思い出しレビュー(ラスト)。

ヒッチハイクを繰り返しながらパリを目指す一人のドラァグクイーン「パロマ」。
彼女がたまたま立ち寄ったドライブインで隣り合わせた男(マイク)のトラックに乗せてもらうところから物語が始まる。

何となくの印象なんだけど、<ドラァグクイーン>と<ロードムービー>って相性がいい気がする。
単なる設定って言ってしまえばそれまでなんだけど、どこか根無し草のような生き方と、何処までも続く旅っていうのがリンクしているのかもしれないね。

それこそ、僕の中で一番鮮烈に印象に残っているのは「ヘドウィグ~」なんだけど、あれもやっぱりロードムービーのテイストに溢れていたしね。

で、ドラァグクイーンものって好きでついつい見ちゃうんだけど、どちらかというと「お化粧してムチャクチャきれいになっている人」よりも、どちらかというと「ちょっと『3の線』だけどそんなの気にしないで楽しんでいる人」の方に目が行ってしまう。
それこそ「ノンフィクション」に出てきそうな感じの。

あくまでも個人の印象の話ではあるんだけどね、結構傷つくこととかも言われてると思うんだ。
でも「顔で笑って、心で泣いて」みたいに、努めて明るく振舞ってステージに立ち続けている。
決して(そんな思いをするくらいなら辞めちゃえばいいのに・・・)とはならないんですよね。
何故なら、そこも全て飲み込んだ上での彼らの生き方だと思うから。

もし自分に置き換えたらやっぱり「親には言えない」とか「旧友には会いたくない」とか考えちゃうと思うのよ。
でもそう考えている時点で、僕が生きるべきではない「世界」なんだとも思う。
だから、ある意味彼女たちは「プロフェッショナル」ですよ。
自分自身を包み隠そうとはせず、スポットライトを浴びながら人前に出ているわけですから。

で、そんな「彼女」たちの中にある「ニュートラルな価値観」って、昨今のLGBTQの風潮に感じてしまう「圧」とはまたちょっと違っていて、自然な共感に近いものを感じるんですよね。

もちろん本物のゲイの人もいれば、女装家としてそれをパフォーマンス(生業)にしている人もいるのだろうから十把一絡げで語ることは出来ないのかもしれないけど、「自分がこうしたいからやっている」っていうことに対して「無理解」があることも全て承知の上で、それでもステージに立ち続ける。
そのステージの上で彼らは「私を認めろ!差別するな!」なんてことは一言も言わない。
ただそこには「これが私よ」っていう自己表現しかなくて・・・。

LGBTQのことを批判するようなつもりはないんですよ、念のため。
あくまでも人それぞれだから。
ただ、そこに「圧」を感じ始めると、もはやマイノリティやマジョリティに関係なく「個人の価値観の押し付け」にも感じてしまうな事もあるな・・・って。
もちろん「差別をなくそう」は大切なことだけど、それを言ったら差別なんてそこら中に転がっている。
性別一つとったって同性同士でも差別は普通にある。
さらに異性に対してだってそうだし、国籍、信条、ステイタス、年齢、容姿、財産、言語・・・・・
極論を言えば人間にとって「自分と違うもの」は全て差別の対象となりうる。
あとは実際に差別するかしないかだけの話。
だから「LGBTQの差別をなくそう!」というのなら、「全ての差別をなくせ!」と叫ばないのは矛盾しているような気もするんですね。

・・・やばい、論点がずれてきた。

結局、人が誰かを愛するとき、それが同性だからという理由で止めることが出来るだろうか?って言う話。
そもそも異性しか好きにならない(なれない)人にとっては「同性を愛する」というところまでも行かないから、この議論のスタートラインにも立っていないんですけどね。
そうではなく「性別関係無しに人を愛せるか」という話。

「男と寝るのは初めて?」
「君は男なのかい?なら初めてだ」

「トラックの運転席」という限られたスペース(=自分だけのスペース)の中だけで生きてきたマイク。
パロマはそんな彼にとってはまさに「未知との遭遇」でしかなかった。
自分とは何もかも正反対なパロマに対して、当初は明らかに嫌悪感しかなかったけど、少しずつパロマの内面に触れていくうちに徐々に自分の心も解けていくのがわかるマイケル。
そして、目的地に着いたパロマはステージで拍手喝采の中で一番に輝いていた。

(自分らしく生きること)

それは「自分の世界だけで完結して生きているマイケルの考え方」とは似て非なるもの。
人一倍の悲しみも悔しさも、全て自分の人生と受け入れて今日も笑顔でステージに立つパロマ。

そして必然のように惹かれあう二人。
ちょっぴりマイケルの気持ちが理解できるような気もした。
「男っぽい、女っぽい」とか「どっちが男役(女役)?」とか、最初から双方に役割を求めるわけでもなく、ただ必要と思った相手が同性だったという結論。
今の自分はそういう経験もないけど、でもいつかそういう気持ちになることもあるかもしれない。
こればっかりは、本当にあるともないとも言い切れない。

あ、もちろん異性を好きになることだってとてもとても素敵なことなんだからね。

そこんとこヨロシク。
dm10forever

dm10forever