ミシンそば

碁盤斬りのミシンそばのネタバレレビュー・内容・結末

碁盤斬り(2024年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

清廉潔白な人間などいないが、清廉潔白であろうとする努力はできる。
だがその努力によって対人関係が円滑となるとは限らず、不都合も生じる(水清ければ魚棲まず、作中でも言及されている)。
この映画は時代劇である前に、飽く迄「心がけ」が重要であることを説いているようだった。

銀英伝のオーベルシュタイン並みに血も涙もない、清廉潔白過ぎる主人公の柳田が、その清廉潔白さゆえに恨みを買い、謂れのない嫌疑で藩を追われ、娘との貧乏な浪人暮らしに身を窶す。
ケチな商人(國村隼が好演)や彼を取り巻く周囲の人々らと、碁を通して交流し、その商人を清廉潔白な真人間に戻す様を、話の入り口としているが、その後、冤罪であったことが発覚して、その犯人が出奔、おまけにその犯人 柴田が亡き妻を無理矢理手籠めにしてたと言う事実まで発覚してから、柳田の清廉潔白振りが、「飽く迄そう在ろうとしているだけ」と言うところが露呈し始める。
そこから、先述した商人の屋敷での50両紛失事件(来場特典に貰ったシール。何のこっちゃと思ったが確かに超重要アイテムだった。)の嫌疑まで掛けられ、娘の進言で彼女の身柄を吉原に預け、50両を工面するなんて厄介ごとにも巻き込まれ(ここら辺、弥吉の言動は行き当たりばったり過ぎてイライラした。のちのちに戦犯であることが分かる源兵衛の行動も迂闊すぎる)。
まぁ――作中人物ですら予想がついていたことでしょうが、50両は最悪なタイミングで見つかるんです。そして物語はクライマックスへ――。

もう一つの主題として、囲碁がある。
ヒカルの碁世代ではあるけど正直読んでなかったからルールはちんぷんかんぷん。
それでも柳田が強いと言うことは分かるし、キレイごとを並べ立てようが彼を陥れて逃げたクズであることは変わりない柴田もまた、強い(彼らの使ってた技、ほとんど何のこっちゃ分からんが、序盤にお庚さんにレクチャーしていた詰め碁の展開が実戦で出てきた時は「ああ、ここで来るか」となった。予想の死角を突かれた感じ)。
柳田と柴田の命を懸けた対局が決まった直後に椿の花の木が映るカットは、「ああ、白石監督これやりたかったんだな」とちょっとだけ思ってクスリときた。
映画に出る時の斎藤工は、クズ役のほうが妙に楽しそうに演じられているな。

それにしても、絹に対して優しい言葉を掛けた舌の根も乾かないうちに、足抜けに失敗して捕らえられた女中を甚振るよう指示を出す吉原の女主人お庚の描写はちょっとだけ怖かった。
彼女は「いい人」であっても「善人」ではないし、その二つは違う、飽く迄側面の一端、これも「そう在ろうとしている」だけの一つなのだろう。

まぁ、心がけってのは、それだけでは生きていけないけど大事ではある、大事にし続けていきたい要素ではあるよね。