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さらば、わが愛/覇王別姫 4Kのkuuのレビュー・感想・評価

4.2
『さらば、わが愛/覇王別姫 4K修復版』
原題:覇王別姫|FAREWELL TO MY CONCUBINE
製作年 1992年。上映時間 172分。
世界中を魅了した壮絶な愛の物語が4Kで鮮やかによみがえる!
巨匠・陳凱歌(チェン・カイコー)監督が香港を代表する大スターの張國榮(レスリー・チャン、彼は撮影中、北京訛りはおろか、北京語もほとんど話せなかったそう。彼の声は北京出身の俳優ヤン・リシン《クレジットなし》が吹き替えているそうな分からんかった。)を主演にむかえ、半世紀にも及ぶ激動の歴史を背景に、『覇王別姫』を演じる俳優たちの愛憎を壮大なスケールと映像美で描く一大叙事詩。
カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞を受賞、世界中を感動の渦に巻き込んだ伝説の傑作が、公開30周年、レスリー・チャン没後20年特別企画として4Kで鮮やかに蘇る!
余談ながら、ジャッキー・チェンは当初、自身の幼少期の京劇を学んだ経験から段小樓役のオファーを受けていたそうやけど、しかし、テーマが彼のイメージを損なうことを恐れ、断ったという。
見たかったなぁジャッキー。

京劇の俳優養成所で兄弟のように互いを支え合い、厳しい稽古に耐えてきた2人の少年―成長した彼らは、程蝶衣(チョン・ティエイー)と段小樓(トァン・シャオロウ)として人気の演目「覇王別姫」を演じるスターに。
女形の蝶衣は覇王を演じる小樓に秘かに思いを寄せていたが、小樓は娼婦の菊仙(チューシェン)と結婚してしまう。
やがて彼らは激動の時代にのまれ、苛酷な運命に翻弄されていく。。。

最近作られる中国・香港映画のほとんどは奇妙なものが多い(小生が無知ゆえ知らないだけやとは思いますが)。
どこかで見たよなタイトルと内容やら、CGI頼りのSFカンフーモノ(カンフーファンタジーも含む)。
あまり観る気がしない。
が、この当時の中国映画はピカリと輝く作品があった。
扠、今作品ですが、作品の名前は京劇の戯曲に由来しており、京劇は通常、中国の古い歴史を脚色したもので、中国人にはよく知られている。
秦の末期に起こったこの悲劇的な物語では、一握りの英雄たちが権力を追い求める。
最も英雄的でロマンチックなのは項羽。
しかし、彼はついに狡猾なライバル、劉邦に敗れる。
激戦の中、項羽の軍は全滅し、最愛の愛人の虞美人ユ・ジは、軍を率いて逃げ帰るよう項羽を説得する。
覇王は彼女と別れることを拒み、彼女は自害して男を逃がす。
これは複雑な物語やないけど、あまりに悲劇的で感動的。
この昔話を脚色した京劇が、内戦や自然災害が絶えなかった中華民国初期に上演された。
んで、京劇の伝統として、女性役を演じる役者はすべて男性であり、時には自分を女性だと思い込んで精神的に追い詰められることもあったそう。
今作品は、激動する中国という歴史的背景のもと、53年にわたる二人の男の人生を描いている。
当初、中国では上映禁止となったが、国際的に高く評価され外圧により公開された。
この映画は国際的な批評家の称賛を浴びることになるり、この年の真の傑作のひとつかな。
今作品は、視聴後すぐに忘れられる人はほとんどいないとは思う。
今作品は、1977年のプロローグとエピローグを含む8つの章で構成されている。
各章は、中国の歴史と登場人物の人生における異なる時代を表している。  
軍閥時代から文化大革命までの時代背景は、1937年の日本の侵略と共産党による占領を含め、筋書きに不可欠と云える。
最初の部分は、主人からしばしば残酷な仕打ちを受けながら、揺るぎない絆を築いていく程蝶衣と段小樓の幼少期に費やされている。
数年後、有名な俳優となった2人に再会したとき、その絆はさらに深まっていた。
今作品では、同性愛というテーマは一度しか表立って言及されないが、その存在が表面から遠ざかることはない。
段小樓が友人の愛の本質に気づかない一方で、程蝶衣はその愛に苛まれている。
段小樓の伴侶となる娼婦菊仙の登場は、程蝶衣の道徳的なジレンマを生み出し、彼はそれを完全に解決することができない。
陳凱歌監督は、こうしたさまざまな人間関係を、深みと繊細さとリアリズムをもって見事に描き出している。
これは、憎しみと愛が幾重にも重なり合う人間関係をリアルかつパワフルに描いた作品と云える。
程蝶衣は最も魅力的なキャラ。
最初から、彼のアイデンティティ意識は混乱している。
男性に惹かれるだけでなく、今作品での女性としての役割が、彼自身の性別に対するある種のアンビバレンスを生み出している。
幼少期には、オペラの中で妾の役を効果的に引き受けることができるよう、私は女の子よちゅうようなリフレインを叩き込まれるが、別の登場人物が観察するように、現実と演技の境界線は曖昧になっている。
娼婦を母親に持ち、老人にレイプされ、親友を女に奪われる。
彼の魂が苛まれるのも無理はない。
段小樓は、少なくとも表面的にはもっと素直な性格とはいえ、程蝶衣や菊仙との変わりゆく関係を通して、この一見単純な性格にはしばしば強い裏の顔が隠されていることを証明している。
彼のある行動が、最終的に映画を文字通りのクライマックス、そして感情的なクライマックスへと押し上げる。
菊仙は、裕福な夫を捕まえようと躍起になっているただの娼婦にしか見えないが、他の誰もがそうであるように、彼女にもちょっとした驚きがある。
最初は2人の間にくさびを打ち込むような存在であった菊仙は、やがて2人の関係にとって重要な存在となる。
コン・リーは難しい複雑な性格を効果的に表現した共演の2人に比べれば、それ以上のことはないけど。
脇を固める俳優たちにも、弱い演技は見当たらないかな。
今作品が当初中国で上映禁止になったのも無理はない(最終的には政府が譲歩し、1回だけ上映された。)
共産主義運動は肯定的に描かれていないしなぁ仕方ない。
特に悪の勢力というわけではないが、共産主義者の態度は、今作品で最も感情を揺さぶるシーンのひとつに貢献している。
1924年から1977年の間に起こったあらゆることが引き起こした複雑なモザイクのような文化的激変を伝えることはできないが、今作品は、壮大かつ親密な物語を語りながら、その味わいのサンプルを見事に表現しているし個人的には興味深く、また心が揺さぶられる体験が出来た作品でした。
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