足拭き猫

ほかげの足拭き猫のレビュー・感想・評価

ほかげ(2023年製作の映画)
4.1
やっとこちらでも公開になりました。
戦争がテーマの映画といえば空襲や原爆の悲惨さ、あるいは戦いそのものを扱うのは見たことがある。だが戦後の急激な変化にだれもが口をつぐんでしまったか、あるいは意識的に表に出されなかったかの、生き残った側や戦った側の苦しみについては明確に語られてこなかったように思う。家族が子供の頃まだ傷痍軍人というのが町の中にいたとよく話すのだが、自分が子供の時はさすがに見たことがなかった。しかし戦後は溢れるように歩いていたのだろうし、塚尾桜雅が演じる戦争孤児もたくさんいただろう。彼らはいつの間にか我々の目の前から居なくなり、今となっては完全に忘れら去られている。でも形を変えてもどの時代でも暗闇に生きてる人はいる。苦しみを表に出せず、かと言って楽しいふりをすることもできず、その日暮らしも精一杯。
そこにわずかな光を当てたかった塚本晋也が描くのはとてもミニマルな映像と物語。激しい空襲で焼け残ったらしい家では秘密は奥に隠されており、ススで光がほとんど入ってこない窓に囲まれた店に小さなほかげが灯される。ひっそり生きている、あるいは暗闇に潜むしかない人たちがいたという事実を浮かび上がらせる。

国家が個人に戦争を押し付ける理不尽さ、森山未來がこれで戦争が終わったと手をあげるところは報復でもあり解放でもある。しかし上官だった男もその前は妻と穏やかに話している。戦場では鬼畜だった彼も本来は人間性あふれる男だったに違いない。でも森山未來は仲間と自分の復讐を彼個人に対して行う。それはそうするしかなかったから。そうとしか国家に対する恨みをはらす方法はなかったのだろう。大きな力はけっして表には出てこず、直接対決することはできないのが虚しい。2024年の今になってもその力学構造は変わらない。

少年はそのような大人たちを見つめる。生存競争に勝つために役に立つと分かっているから拾った銃を持ち続けたが、心を通わせることができた母のような存在になった女の、そのようなもの惑わされず命ひいては自分を大事にしてという言葉を受けて手放す。誠実な働きによって生き延びるという方法を選ぶ。
そんなチャンスをも奪われてしまったのが復員兵だ。彼から銃声の咆哮と凄惨な戦場の記憶が抜けることはないだろう。ただ、学ぶ方法を授けてそれは少年のこれからの生きる術になっていくだろう。
テキ屋の男は少年に人を殺させない。先に立つ大人たちが経験した苦しみを自分の中だけでケリをつけて少年にはその姿を見せる。男を何度も振り返る少年。

少年は彼ら大人からそれらの贈り物を受け継いで生きていく。この世界で生き残る人たちは「優しい人」ではない。弱肉強食の人間の世の中で悪い奴らほどのさばる。でもそうなってほしくないという大人たちの願いのもとに。